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X-JAPAN LIVE IN HONG KONG

2020.10.16

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2009年1月、X-JAPAN、香港公演。
その2日間のライブ映像がWOWOWで初めて公開されました。

1997年、TOSHIが(洗脳された状態で)X-JAPAN脱退を表明し、そのままバンドは大晦日の東京ドーム公演をもって解散。

その翌年、HIDE、衝撃の死。

その11年後、2008年3月、メンバーは幾多の苦難を乗り越え、そしてTOSHIは洗脳が解けて、X-JAPAN復活。

同年5月、味の素スタジアムで伝説の「hide memorial summit」。
X-JAPANと、活動休止中のLUNA SEAが夢の競演。
ちなみに妻と娘はこの日、初めてのX-JAPANライブ参戦。

そしてその翌年実現したのが、この香港公演でした。
チケットは即日完売。

しかしこのライブ映像はずっと未公開のままでした。
それが今になって、まさかの放映。
酒を片手に画面にしがみつきながら、歓喜の涙を流す自分がいました。

写真は、ライブではめったに見られないYOSHIKIとベースのHEATHのカラみ。
YOSHIKIが渡したマイクに向けて「HELLO!」と小声で囁くHEATH。
ハートウォーミングで貴重なショットでした。

飛び込み営業

2020.10.10

飛び込み営業で一度だけ大きな買い物をした事があります。
それは車です。

15年以上前のとある日、某自動車ディーラー新入社員のO(オー)君は、緊張した面持ちで、恐る恐る当社の事務所に入ってきました。
まだ契約も取れていないであろう彼は、たどたどしい口調で、しかし懸命に商品の説明を始めました。
そんなO君に惹かれたのは、不器用ながらも、ひとえに彼から滲み出る真摯さと人柄によるものでした。

ちょうど妻の小さな車を買おうとしていた時期でした。
私は彼に金額の条件を出しました。
普通でしたら飛び込んできた、その日にはあり得ません。
数日後、O君はその条件をクリアして、笑顔で当社を再訪しました。
私はその場で購入を即決しました。

そのからずっとO君は「誠心誠意」という言葉の通り、私と妻の気持ちに応えてくれました。
その姿勢は彼が転職して地元の公務員になってからも変わりませんでした。
ディーラーから足を洗ったのに「車の具合、どうですか?」と言っては、当社を訪問してくれました。

そんなある日、彼が会いに来てくれたのは、結婚の報告をするためでした。
そして彼は、披露宴で使うお酒をすべて和田龍にしたいと言ってくれました。
さらには乾杯のための、和田龍のロゴと新郎・新婦の名前が刻印された枡を出席者の数だけ用意したいとまで申し出てくれました。
私と妻は感激して、その枡は我々からのささやかな贈り物とさせて頂きました。

新婚旅行直後、O君は披露宴の写真を持って来社してくれました。
当社の清酒と枡が眩しく映えた1枚もありました。
さらにしばらくして、彼は奥様を連れてやって来ました。
彼にはもったいないくらいの(本音)、美して清楚でつつましやかな女性でした。

それからもO君は折に触れ足を運んでくれます。
時には上司や友人も一緒に連れてきてくれて、人の輪が広がっていきます。

あの日、おどおどしながら営業で飛び込んできたO君。
あの時彼を迎え入れていて良かったと、心からそう思います。
人とのご縁の素晴らしさを至るところで感じる今日この頃です。

ホテルカードの有効期限

2020.10.04

コロナ禍のもと、まったく県外に出られないここ数か月です。

そんな中、ふと思ったのは、私が東京へ行った時の定宿のホテルのカード、そのポイントとグレードが失効してしまうのでは?という懸念でした。

まずカードのポイントに関しては、利用金額に応じて商品券や景品に交換できます。
直近では昨年末に、貯まったポイントを数千円分の商品券に交換したばかりで、ポイントそのものはほぼゼロに戻ってしまったからいいものの、交換した商品券の有効期限がしばらく前に切れてしまいました。

またこのカードのグレードに関しては、そのホテルチェーンの1年ごとの利用頻度によって決まるのですが、3ランクあるうちの今は真ん中の「ゴールド」であるのが、今年は1度しか泊まっておらず、来年はスタンダードな「ブルー」に戻ってしまいます。

それはそれで仕方がない事なのですが、それでも聞くだけ聞いてみようと、カードのコールセンターに電話してみました。

すると驚くことに、商品券に関しては、この状況下なので、新しい有効期限のものに交換するとの説明が丁寧にありました。
すぐに期限切れの商品券を返送すると、しばらくして有効期限がはるかに延びた新しい商品券が送られてきました。

カードのグレードに関してはホームページに書いてありました。
この状況下を鑑み、それぞれのグレードの保有期間を1年延ばすという事でした。
やった、これで続けてホテル内の各種特典や割引が受けられる。

という訳で、次にこのホテルに泊まった折には、いつものようにスタッフの皆さんのとびきりの笑顔と快適なサービスに出会える事を楽しみにしています。

読む立川流

2020.09.26

活字がないと眠れない、そんな生活を何十年と続けています(酔って潰れた時は別です)。

最近ハマっているのは、立川流の落語家が書いた著書の数々。

きっかけは地元上田市出身の立川談慶の新刊「安政五年、江戸パンデミック。」

もともと談慶師匠の著書は面白くてすべて網羅しているのですが、この新刊も師匠自らがfacebookで「手拭い・サイン付き」で直売しているのを目にして即買い。
包装を解くのももどかしく一気読みの一夜でした。

続けて談慶師匠が、今度はPHPの増刊で小説連載を始めた事を知り、こちらも即買いで一気読み。

ちなみに小説冒頭のシーン。
主人公の落語家がラジオの生放送で屋外で落語を喋らされ、誰も聴いていない過酷な状況に落ち込む姿は、談慶師匠の実体験です。
遡(さかのぼ)る事はるか前、長野のラジオの帯番組で、屋外の騒音や人の声が鳴り響く中、必死で高座を努める談慶師匠の噺を仕事の車中でよく聴いたものでした。
あの体験があったからこそ今でも過酷な状況にも耐えられると師匠は語っています。

さて、談慶師匠を読了後、血が騒いで引っ張り出してきたのは、これまで何度読んだか分からない立川談春「赤めだか」と立川志らく「雨ン中の、らくだ」。

前座の頃からライバルと称されてきたこのふたりの自叙伝は、並べて読むと面白さが倍増します。
昨夜は酔っていたこともあり「雨ン中の、らくだ」の途中で寝落ちしましたが、今晩読み終えたあとは、今度は談志に行ってしまいそうです。
とはいっても、私は立川談志を語れるほど通ではありませんし、今でもただただ憧憬のまなざしで見上げるだけの初心者ファンなのですが。

山恵錦

2020.09.19

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上田の5蔵が、同じ上田市内の柿嶌農園で作る酒米「山恵錦」で仕込みを行う、その名も「山恵錦プロジェクト」。

その柿嶌農園の山恵錦の田んぼを、みんなで見学に行って参りました。

この冬の造りで3年目となる山恵錦の稲穂は、800メートルの高地で、大きな粒できれいに実っておりました。

お互いがよき仲間であり、そしてよきライバルである上田の酒蔵が仕込む山恵錦。
この冬の出来栄えもぜひ楽しみにしていたてください。


山恵錦プロジェクト
https://www.sankeinishiki-project.com/

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