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ご報告

2011.02.22

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「登水(とすい)」、まずは山田錦の純米酒が搾れました。
いつも感動の瞬間です。
発売時期等、詳細は改めてお知らせ致します。

登水(とすい)上槽間近

2011.02.17

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写真:発酵途中の「登水」のもろみ


「登水(とすい)」が間もなく上槽(お酒を搾ること)を迎えようとしています。

アルコール度数が16度台まで上昇し、日本酒度も切れ(甘口から辛口に推移すること)、ほどよい酸も乗って参りました。
あとはバランスを見ながら目標とする数値を見極め、搾るタイミングを計るのみです。

昨年までは醸造アルコールを添加していた山田錦の「登水」も、今年は美山錦同様、装い新たに「純米酒」として登場します。

また例年通り、最初の数ヶ月は「生酒」として限定販売も予定しています。

さて、どんなお酒が出来上がってくるでしょうか。
乞うご期待下さい。

高見沢俊彦ワイン

2011.02.12

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慌ただしい毎日が続いています。
時間がなくて、今回は短いブログでお許し下さい。

1月15日のブログの文末にも書いた、我が社の事務所に並んでいる不思議なもの、その2。

THE ALFEEの高見沢俊彦さんのお誕生日ワイン。

私が日頃からお世話になっている、高見沢さんの衣装を担当した方から頂いちゃいました。
もったいなくて飲めずに飾ってあります。
ま、瓶だけでもいいんでしょうけどね。

お役所仕事

2011.02.04

先日、水道の移設の必要に迫られ、市役所水道局に電話した時のことです。

今の時代、電気・ガス・電話・インターネット等、移設の依頼は電話1本で、しかも極めて丁寧な応対ですぐに受け付けてくれます。
また、郵便局の住所変更届けも、わざわざ足を運ばなくても自宅からインターネットで申し込めるようになりました。

ですので水道の移設の申し込みも電話で簡単に済むと思っていましたが、これが大間違いでした。

「一度お越し頂かないと受け付けられません」
これが市役所水道課の電話口での答えでした。
思わず我が耳を疑ってしまいました。

そのあまりにも平然とした口調に疑問を抱いた私は、市役所までは車で5分ほどの距離であるにも関わらず、あえて次のように続けました。
「それでは土曜か日曜にお伺い致します」
「土曜・日曜は休みです」
「では平日の夜お伺い致します」
「平日は5時15分までの受付となります」
「・・・」

なるほど、つまりウイークデーに働いている人は来なくても結構、そうおっしゃるわけですね。
でも行政もサービスと言われて久しい昨今、なのにこの前時代的なサービスの在り方はちょっと信じられない思いです。

仕方なくその日の午後に水道局を訪れましたが、受付の対応も素っ気ないものでした。
少なくとも前述した電気・ガス・インターネット等の会社とは、ホスピタリティという意味で雲泥の差がありました。
水道の開栓手数料として1000円徴収されましたが、どうせならもっと気持ちよく払いたい、そんな思いにさえ刈られました。

別の日の市役所での出来事。

仕事上、毎月の酒税の申告を最近はインターネット回線すなわち「e-tax」で行うのですが、その際に必要な私の住民基本台帳カードの有効新期限が切れたので、更新のため市役所市民課を訪ねた時のことです。

無事手続きを終え、帰り際、担当の男性に「ありがとうございました」とお礼を言ったところ・・・返ってきた答えが、さらりと「ご苦労様でした」。

よ~く考えてみて下さい。
「ありがとう」に対して「ご苦労」のひとこと。
すごい「上から目線」ですよね。
そもそも「ご苦労様」は目上から目下にのみ使う言葉ということを市民課窓口の彼は知らなかったのでしょうか?

こんなさり気ない場面にも意識の差が垣間見られて、思わず「お役所仕事」という言葉が脳裏によぎった一瞬でありました。

新宮市 お燈まつり

2011.01.29

紀伊半島のほぼ先端に位置する和歌山県新宮市。
海と山とに囲まれた人口約3万のこの小さな街で、今年も2月6日に「お燈まつり」、別名「火まつり」が開催されます。

私が新宮市を知るきっかけとなったのは、現代文学の中でも最も好きな作家のひとり、中上健次(なかがみ・けんじ)がここ新宮出身だからです。

中上健次。
新宮の被差別部落に生まれ、複雑な家系のもとで育った中上は、46歳でその短い生涯を閉じるまで、一貫して「地と血への回帰」をテーマとした重厚な作品を次々に発表しました。

若い頃は羽田空港で肉体労働に従事する傍ら、もっぱら喫茶店の片隅で作品を書き上げ、そのスタイルを自ら「喫茶店文学」と呼びました。
その才能は、中上自身の家系を色濃く反映させた自然主義的小説「岬」で戦後生まれの作家として初めて芥川賞を、さらにはその続編「枯木灘」でも数々の賞を受賞してから一気に開化しました。

彼の初期の作品「十八歳、海へ」「十九歳の地図」「蛇淫」は映画化され(「蛇淫」の映画名は「青春の殺人者」)どれも高い評価を得、またそれに続く「火まつり」は中上本人がシナリオを書きました。

一方、新宿ゴールデン街を根城とする酒や喧嘩に明け暮れる破天荒な日々も、これまた中上のもう一方の姿でありました。

故郷新宮で毎年夏に「熊野大学」と名付けたセミナーを開講し、作家としてもいよいよこれからもう一皮向けようとした矢先、しかしガンのため中上は46歳の短い生涯を閉じました。

中上の作品に頻繁過ぎるほど登場し、彼のすべての作品の土台ともなっている新宮の街をぜひ見てみたいと、妻とふたりで2年続けて新宮市を訪れたのは10年ほど前の春でした。

初訪問の際は、事前にあれこれ電話で質問をした新宮市役所観光課の方が思いも掛けず新宮駅で待っていて下さり、大変驚くとともに大いに感激致しました。
その方の案内で、作品に登場する新宮の街々、中上健次記念館、中上健次の墓、そして「お燈まつり」の舞台でもある神倉山中腹に位置する神倉神社等々をじっくり時間を掛けて回ることができました。

そして翌年2月6日、「お燈まつり」当日に新宮を再び訪問しました。

そぼ降る雨の中、昼間から松明(たいまつ)を持った白装束の男たちが松明を打ち合いながら街を練り歩いています。
そして夕刻を告げる頃、彼らは次々に山の中腹にある神倉神社の境内を目指して、その急な石の階段(本当に凄まじいほどの急階段です)を登り始めます。

日が暮れると神倉神社では、二千人分の松明に次々に火が灯されます。
その日に限って一般客は入山が禁止されているので、山の中腹で煌煌と燃え上がる炎を麓から見上げる事になるのですが、その光景は圧巻です。

そして午後8時。
神倉神社の門が解き放たれると同時に、男たちがいっせいにその急な石段を松明を持ったまま駆け降りてきます。
勢い余って転倒する者、怪我をする者も続出で、これこそこの祭りが「男まつり」と呼ばれる所以です。
滞まることを知らない、駆け下りてくる男たちの群れと彼らが手にした松明の火に、この祭りの真髄を見る思いがするのです。

今年も一週間後の2月6日、お燈まつりが開かれます。
あの日観光課の方から贈られた新品の松明を眺めながら、当日は私も遥か彼方の新宮の地に、そして中上健次の魂に、思いを馳せる事になるでしょう。

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