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嬉しい来訪

2012.11.19

先日、弊社に若い女性5名のお客様がお見えになりました。
ここ何年にも渡る、この時期の毎年の恒例です。

実は彼女たちと私とのそもそも繋がりは「聖飢魔Ⅱ」。
以前も記したように私自身が「聖飢魔Ⅱ」の大ファンなのですが、そんな私と、やはり熱烈なファンである彼女たちを結び付けてくれた理由はふたつあります。

長野でライブがあるとデーモン閣下が「闘う日本人」という曲で歌詞を変えて「酒は和田龍!」と歌ってくれていたのがひとつ(ちょっとした訳がありまして)。
そして聖飢魔Ⅱの全メンバーの衣装をずっと製作し続けてきた、当ブログでもたびたび登場のJAP工房、そのHPに弊社のリンクを張って頂いていた事がひとつ。

そんな和田龍という会社はどんなところだろう?という事で、数年前、その5人の女性はわざわざ弊社を探し当てて訪ねてきてくれたのです。

5人のうちひとりは地元上田の女性で、それ以外の4人はわざわざ関東からのご来訪です。
毎年この季節に、名物の新蕎麦や松茸料理を楽しみながら温泉に入りに5人は上田に集まるのです。

数年前に初訪問して頂いた際にも、初めて会ったとは思えないくらい6人で意気投合して、あっという間の約2時間。
会話の中に繰り出される聖飢魔Ⅱの専門用語の連発に、傍で聞いている我が社の社員も感心するやら呆れるやらの毎回です。

そんなに何回来てもうちは何にもないよと笑いながら言うのですが、でもそれは私の嬉しさの裏返しです。
今年も店先でお茶を飲みながら、5人と1人の楽しい時間が瞬く間に過ぎていきました。

お酒を通じてのこのようなご縁は、私にとって大切な宝物のひとつです。
皆さん、来年もまたお待ちしていますね。
あるいはその前に、聖飢魔Ⅱが再集結したら(彼らは1999年12月31日、すなわち世紀末に解散してからこれまでに3度再集結しています)、会えるのはライブ会場でかな?

一生懸命の意味

2012.11.12

東京のJR品川駅高輪口のすぐ脇に1軒のパチンコ店があります。
このお店の前を通るたびに必ず目にするのが、客寄せのために自動ドアの前で、ハッピ姿で元気よく踊っているアルバイトの学生さんです。

時には男性1人だけで、時には女性1人だけで、またある時は男性と女性2人で、音は流れていませんがたぶんi-podか何かを聴いているのでしょう、リズムに乗りながら一心不乱に道行く人の目の前で踊り続けています。
逆に音がないからこそ、ハッピ姿で延々と踊り続けるその姿は通行人の目を引くにはあまりに十分です。
かくいう私の目も、お店の前を通る時は彼らに釘付けです。

そして見るたびに感じるのですが、踊っている学生さんによって、彼らの恥ずかしさの度合いがはっきり分かるのです。

いくらバイトとはいえ「やらされている感」がある人というのは、踊りもどことなくぎこちなく、そして動きも緩慢です。
逆にこれは仕事と割り切って羞恥心をかなぐり捨てて踊っている人は体のキレもよく、そして何より表情が明るいです。
特に女性が踊っている場合はそれを顕著に感じます。

で、何が言いたいのかというと、どうせ恥をかくのならキッパリとかき捨てて踊っている学生さんの方が輝いて見えるという事です。

ちょっと下をうつむいて恥ずかしそうに踊っている学生さんには、そうやって恥ずかしがっている方がカッコ悪いよ、どうせなら思い切りハジけちゃいなよ、その方がうんとカッコよく見えるから、思わずそう言ってあげたくなります。

彼らにとってみれば、バイトでパチンコ店に行ったら店の前でひたすら踊ることをたまたま命じられて、こんなはずじゃなかったともしかしたら思っているかもしれません。
でもそこで一生懸命にできるか否かで、その人のその後の生きざままで、たとえちょっとずつでも変わってくるのではないか、そんな気がいつもしています。

そしてその光景を見ながら、実は私自身も学ばせてもらっているのです。
最後に必ず「頑張れよ」と心の中で呟いて、そのお店の前を通り過ぎる毎回です。

城下町酒楽まつり 2012

2012.11.06

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開場前の弊社のブース


松本駅前で開催された「城下町酒楽まつり」に出展して参りました。

今年で4回目を迎えるこの「城下町酒楽まつり」、松本駅前の6会場
・蔵のむこう
・庵寿(あんじゅ)
・庵寿別館 イタリアンCROSS
・風林火山
・和利館
・山里
それぞれのお店に今年は長野県内28蔵が集い、午前11時から午後3時まで4時間に渡り、各蔵がお酒をお振る舞い致しました。

事前に伺ったところでは、前売りの段階で昨年の入場者数を越えて700枚が売れているとのこと。
そんな数字を裏付けるように、弊社がブースを出した「庵寿」さんでも開場と同時にお客様がどっとご入場されました。

それにしても、昨年も感じたのですが、このイベントにお見えになるお客様は素晴らしいですね。
どなたも楽しく酔っていらっしゃるのですが、そんな中でおいしいお酒を見つけようという探究心が旺盛で、しかも礼節をしっかりわきまえていらっしゃる。
蔵元としてはお酒の注ぎ甲斐がある方ばかりです。

正直申しまして松本地域では弊社の知名度はまだまだ低いと思っているのですが、そんな弊社のブースでもお客様は途絶えることなく、しかも皆様真剣にお酒を味わってコメントを下さる、その上で「おいしい」と言って頂けるとこちらの気持ちも俄然盛り上がります。

中には「昨年おいしかったから今年も来たよ」というお客様も大勢いらっしゃり、喜びも倍増です。
大量に持っていった粕漬けも皆様「おいしい」と召し上がって頂いて、終了間際にはすっかり空に。
気持ちも弾んだままイベントはお開きとなりました。

今回改めて感じたのは松本という街の素晴らしさです。
松本駅前だけでも日本酒に力を入れて下さるお店がたくさんあって、しかもこの「城下町酒楽まつり」のように、お互いのお店が手を組んで日本酒の魅力をさらに広げようとご尽力頂いている、素晴らしい事だと思います。

最後に、縁の下の力持ちとして、いつも目に見えないご苦労を山ほど背負って下さっている山屋酒店の細野さんご夫妻に心から御礼申し上げます。

文章は理論なり

2012.11.02

前回の流れでもう少し書かせて下さい。

高校時代、授業に付いていけず落ちこぼれた私は、授業中こっそりと中上健次や開高健や村上龍といった作家を読み耽る毎日でした。
さらには高校3年にもなると授業そのものがかったるくなって、授業をさぼっては図書館に入り浸るようになりました。

受験の結果は当然のごとく失敗。
浪人生として東京の代々木ゼミナールへ通うようになり、そこで私は大いに影響を受ける事となる1人の講師と出会いました。

堀木博礼先生。
現代国語の講師で、代ゼミでも1・2を争う人気講師でした。
知っていらっしゃる方も多いのではないでしょうか?

堀木先生の日頃の教えをひとことで要約すれば「文章は理論」、これに尽きます。

それまで現代国語の試験といえば、感覚で解答するのが当たり前で、例えば「この時の主人公の心理を述べよ」とか「ここでの筆者の主張を100字以内で記せ」とか、ほとんどの設問は感覚で答えているのが常でした。

しかし堀木先生は、文章はすべて理論で成り立っているのだから理論立てて考えなさい、そうすれば自ずから正答は導き出されます、と繰り返し諭しました。
それは私にとって、まさに「目から鱗」の教えでした。

堀木先生の教えを忠実に守ると現代国語の偏差値は何と30も上がり、堀木先生の「小論文ゼミ」では私の書いた文章が模範解答で配られました。

さらに堀木先生の「近代文学史」の講座、これが輪を掛けて面白いものでした。
受験という枠にとらわれない数多くの史実やエピソードを教えて下さり、文学への興味がより一層増していきました。

ひとつ例を挙げます。

「古事記」から現代まで続く文学の流れを2つに分けるとすると、それは明治38年が境といってよい。
その年は島崎藤村が「破戒」を発表した年であり、それはまさに自然主義文学が誕生した年ともいえる。
自然主義とは即ち「現実暴露の悲哀」をテーマにしたものであり、それまでの「文学=娯楽」といった流れとは明らかに一線を画すものである。
ただし藤村の存在だけでは自然主義の確立は不十分であったが、その直後に田山花袋が自身の体験をベースにし、主人公が親戚の女の子が残した蒲団の匂いを嗅いでさめざめと泣く「蒲団」を発表し、それが広く支持された事によって、自然主義文学は隆盛を誇るようになっていった。
その後の近代文学は、要約すれば「自然主義」対「耽美派」「白樺派」「余裕派」等の「反自然主義」という、いわば「自然主義」を軸とした流れの中で発展していった。

こんな感じです。
あれから30年、今も堀木先生は教鞭をとられていらっしゃるのでしょうか?

図書館の片隅にて

2012.10.26

しばらく前に、所要で長野県内の某高校を初訪問しました。
少し時間に余裕があったので図書館をぜひ見てみたいと思い、行ってみることにしました。

授業中とあって生徒の姿はなく、館内は静寂が支配していました。
図書館の蒸せ返るような書物の匂いは昔も今も変わっていません。
そんな中、まず向かったのは日本文学全集のコーナーでした。
一体どんな作家の全集が並んでいるのか興味津々です。

書架の端からゆっくりと目を移していくと、私の目は一点に釘付けになりました。
そこには、戦後生まれの作家としては私が最も好きな2人、中上健次と開高健の全集が同じ棚に並んでいました。
ちなみに、その「中上健次全集 全15巻」は私の書架にも大切に収められています。

今の高校生もこの2人を読んでいる事が嬉しくて、思わず心躍らせながら中上健次の1冊を手に取ると、しかし本そのものはまるで新品のようにきれいなままです。
一番最後のページを開いて貸し出しの履歴を見てみたところ、何と借りた人はゼロ・・・それはどの中上健次の本も同じでした。
それよりもっと古くに出版された開高健全集は、それでもかろうじて1人が借りています。
という事は、これらの本は10年以上もの間、誰にも見向きもされずに、そこにただ置かれていただけなんですね。
何てもったいない・・・思わず心の中でそう呟いてしまいました。

でも高校生にとってみれば、図書館は本を借りる場所というよりは勉強をするスペースなのかもしれませんね。
私が高校生の時もそうでしたし、私自身、市立図書館の自習室で受験勉強に励んだ身ですから、あれこれ言う資格はありません。

でも大人になってみると、若い頃に得た知的財産の大きさって計り知れない事に気が付くんですよね。
そこに中上健次がある、そこに開高健がある、でも全く見向きもされていない、そんな事実がちょっと寂しく感じました。

何だか今日は偉そうな事を書いてすみません。

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