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感涙の看板

2013.04.23

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弊社の事務所の入口に、写真のような素晴らしい看板が取り付けられました。

書をしたためて下さったのは、大相撲の行事、木村要之助さん。
そしてこの看板を贈って下さったのは、上田市の隣の東御市で割烹居酒屋を営む「とんちゃん家」の若旦那の太田洋士さん、20年来のお付き合いになる大親友です。

もともと太田さんご一家は東関部屋後援会の重鎮でもあり、当時太田さんの結婚披露宴では、主賓に東関親方(高見山)や横綱曙関が列席していて度肝を抜かれたものです。

そして、情に厚く人との縁を大切にされる太田さんが、日頃のお礼にと(お礼を言うのはむしろ私なのですが)先日突然持ってきて下さったのが、東関部屋に所属する木村要之助さん直筆のこの看板だったのです。
将来は立行司・木村庄之助も嘱望される希望の星です。

贈って頂いた看板は早速飾らせて頂きました。
事務所の雰囲気が一気に引き締まった感じです。

ちなみに「とんちゃん家」さんは、一品料理からコース料理に至るまで太田さんや板さんの目が光り、極めて秀逸な酒肴を提供する、掛け値なしに素晴らしいお店です。
そして締めに食べるバッテラのおいしい事と言ったら。

太田さん、本当にありがとうございました。
これからも大切に扱わせて頂きます。

安らぎの1軒

2013.04.20

昨夜は上田駅前のホテルでフォーマルな懇親会がありました。
いつもこのようなパーティの席では会話に夢中になるあまりほとんど食事を口にしない私、案の定今回もビールと日本酒にちょっと口を付けただけで、料理は一切食べずじまいでした。

いざ会場をあとにすると急に空腹を覚え、寿司でもつまんでいこうと、いつも行く馴染みの海鮮処(24/9/24の当ブログにも登場)の暖簾をくぐりました。
しかし中に入った瞬間、店内はいつもの事ながら宴会場から小上がりまで超の付くほど満席状態。

カウンターに1席見つけてはみたものの、ここで私が座るとただでさえ忙しいお店やご主人にご迷惑を掛けること必死なので、「今日は失礼しますね」と辞退を申し出ました。

しかしそこは律儀で筋を通すご主人、「私は今手が離せないけど奥の板場は少し手が空くから(料理は出せるよ)」というお言葉に根負けしてカウンターに腰を落ち着けました。

でもやっぱりご主人やスタッフのあまりの忙しさを見ていると、料理を注文できる雰囲気ではありません。
宴会のお客様の巻物を次から次へと必死に作るご主人を見ながら、しばらくの間サラダ(ここの手作りドレッシングはピカ一です)をつまみながらエビスビールで喉を潤していました。

ビールを熱燗に変える頃、さて次はどうしようかな?
奥の板場は少し手が空くといっていたから焼き魚でも注文しようかな?と思っていた矢先、ようやく手が空いたご主人が開口一番「さあ、和田さん、寿司を握ろうか。1人前よりちょっと軽めの7~8貫でいいよね?」。

ちなみに私は寿司が食べたいとはひとことも言っていません。
ご主人は料理を作りながらも、私の注文の塩梅や食事をしているペースに目を光らせて寿司を食べたがっている事を察してくれ、しかも突き出しやサラダを食べ切っているお皿を見て「軽めに」と提案してくれたのです。
ご主人の目配りとホスピタリティの素晴らしさに改めて感動です。
でもこういう事がこのお店では日常茶飯事なのですね。

いつの間にか仲良くなったテーブルの隣人と会話を弾ませながら口にしたお寿司とお吸い物のおいしさといったら。
入った時はご迷惑を掛けないようにすぐに帰ろうと思っていたにも関わらず、お店を出たのはそれから3時間後のことでした。

我が家の子供たちもこのお店が大好きで、時々家族で行っては子供たちにたらふく食べさせ、先に帰宅させたあとは夫婦で差しつ差されつのんびりと飲んでいる毎回です。

上田城の桜

2013.04.13

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我が社の隣にある、上田城跡公園の桜がピークを迎えています。
いつもより2週間も早い開花で、4月5日(金)~22日(日)まで開催中の「上田城千本桜まつり」も例年以上に大賑わいです。

上田酒造協会の出店にも連日大勢のお客様がお見えになり、各蔵のお酒を試飲しながらご購入頂き、ありがたい限りです。

公園内には多くの出店や屋台が軒を連ねていますが、中でも一番稼いでいるのは、猿回しの猿、ひろし君かな?

ちなみに上の写真は、先日飲み会の帰り道で、ぐでんぐでんに酔ったまま立ち寄った上田城櫓門(やぐらもん)前の光景です。
花見客も去ったあと、閑散とし始めた中でのライトアップされた桜が綺麗です。

写真下はまさにこれから猿回しが始まるところ。
ぐるりと取り囲んだ大勢の観光客からは、その都度硬貨だけでなくたくさんの紙幣がおひねりで飛び交っています。

「千年の愉楽」

2013.04.07

映画「千年の愉楽」を観てきました。

中上健次原作、そして若松孝二監督の遺作ともなった本作。

中上の永遠のテーマであった「血と地への回帰」を扱った、しかし逆に映像化が困難なこの小説を、若松監督がいかに作品として仕上げたか、それを考えただけでワクワクと興奮を押え切れない思いでした。

しかしいわゆるメジャー路線からはほど遠い作品なので、上田のシネコンでは掛からないだろうと諦めていたら、なんと長野市の古くからある映画館が上映をしているではありませんか。
拍手喝采!です。
という訳で、時間を縫って長野市まで飛んでいきました。

日曜の昼間だというのに、当日の観客は私を含めて5人。
でもこの閑散さが逆にこの作品には相応しい気もします。
ちなみに若松監督の前作「キャタピラー」を観た時は観客は私ひとりでした。

この映画で何より印象に残ったのは、中上健次が言うところの「路地」を見事に再現したロケ地、三重県尾鷲市の須賀利の集落です。

目の前は熊野灘の海、そしてすぐうしろは山に囲まれ、扇状に開けたこの小さな集落は、30年前に県道が通るまで自動車での行き来が出来ずに、舟だけが唯一の交通機関だった隔絶された地だったそうです。

当初予定していたロケ地が台風で撮影困難となり、急遽代替地として見つけられたこの集落は、しかし中上の「路地」を描き切るのに十分過ぎるほど十分な、見事な光景と空気とを備えていました。

高台に建つ、寺島しのぶ演じる主人公の産婆オリュウノオバの家と、そこから見下ろす集落の一帯。
そしてその小さな「路地」で繰り広げられる、オリュウノオバが取り上げた3人の若者の血と生と性。

私は実際に、中上健次が生まれ育った和歌山県新宮市の「路地」を歩いた事があります。
その時見た光景とは違っていても、この映画にはまさに中上が、そして若松が表現しようとした「路地」が描き切られていました。

もうひとつ大変感動した事があります。
それはこの映画のパンフレットです。

1,000円と値段は高かったですが、これほどまでに充実したパンフレットに出会ったのは久々です。
クランクインからの詳細な撮影日誌や完全版のシナリオまで掲載されていて、これで1,000円なら安いくらいです。
昨今の薄っぺらい、ろくに解説がなく写真だけが載っていて700円も800円もするパンフレットはぜひ見習ってほしいです。

凋落のサービス

2013.03.30

過日、とんぼ帰りで東京へ行った時の事です。

宿泊は、これまでもホスピタリティ溢れるサービスに惹かれて利用してきた、中央区のRPホテルを予約しました。
しかし今回、そんな心地よさへの期待はものの見事に裏切られる結果となりました。

始まりはチェックインでした。

ホテルに着いて、エントランスからチェックインカウンターまで歩く間、これまででしたらどのスタッフもが笑顔で迎えてくれた心地よい挨拶が、今回はひとりとしてありません。
ドアマンもベルマンもコンシュルジュさえも、隣を横切っても一切無言で無視を決め込んだまま。
ここで既にホテルに漂う冷たい空気を感じ取りました。

それに輪を掛けたのが、チェックインを担当した、覇気のない熟年の男性スタッフ。
それはいつもの心温まる笑顔での対応とは正反対の、まるでロボットのように淡々とした、寒々しいチェックインでした。

チェックインの最後に「何かございますか?」と問われたので、「有料でも構わないので、朝刊はいつもの朝日新聞に加えてスポニチを追加して下さい」と返すと「承知致しました。追加料金は要りません」、彼は確かにそう答えました。
しかしそれがあとで波紋を呼ぶ事となります。

キーを受け取り、いざ部屋へ向かうと、そこは私がこのホテルで最も嫌いな、フロアのコーナーをまるでパズルのように埋め込んだ狭いシングルルームでした。
ホテルメンバーであり、それなりの利用実績もある客をこの部屋に通すのか、ここまでの接客に落胆していた私は、そんな事さえ考えてしまいました。
私はすぐにフロントに電話をして、ルームチェンジを申し出ました。

空き部屋を調べると言って一旦電話を切ったスタッフから「空きがある」と回答があったのはそれからすぐでした。
すぐに「研修中」という名札を付けた若い女性がやって来て私を新しい部屋に案内してくれたのですが、彼女との初々しい会話と、そのあとターンダウンにやってきた客室係のおばちゃんとの会話が、この1泊で唯一暖かみを感じた瞬間であった事からも、今回の滞在の寒々しさを感じ取って頂けると思います。

新しい部屋に入って、早速次の予定に出掛ける準備に取り掛かった私は、洗面台にいつものハンドタオルが置いてない事に気が付きます。
すぐに客室係に電話をして「いつもならハンドタオルがあるはずですが」と問い合わせると、「間もなくターンダウンにお伺いしますのでその時にお持ち致します」との返事。
しかし待てども待てども客室係が来る気配はありません。

部屋のベルが鳴ったのは、それから45分後でした。
だとすれば、このクラスのホテルであれば、リクエストがあったハンドタオルだけでも先に届けるべきでした。
それでも部屋を整える人の良さそうなおばちゃんとの会話が、イライラし続けた私の心を解きほぐしてくれたのでした。

翌朝、目が覚めて新聞を取ろうとした私は、そこにいつもの朝日新聞はなく、追加を希望したスポニチだけが新聞受けに刺さっているのを見て唖然とします。

すぐさまフロントに電話をして「おはようございます」と挨拶をした私に対して、電話の向こうの若い男性スタッフから帰ってきた言葉はたったひとこと、「はい」でした。
もはやこのホテルはまともな挨拶すら出来ないのか、そんな失望感が広がります。

事情を説明し、これから朝食を取りにフロントの前を通るから、その時に従来の朝日新聞も渡してくれるよう頼み、数分後私は部屋を出ました。

フロントに立ち寄り、「先ほど新聞の件で・・・」と言った途端にカウンターの向こうから電話に出たらしき男性スタッフが飛んできて、新聞を手渡してくれました。
私は彼に、今後私の購読紙のリストに今回の「スポニチ」も加えておいてもらえないだろうか?と頼んだ瞬間、彼が発した言葉、それは「2紙目からは別途料金を頂戴致します」、そんな冷たいひと言でした。

確かに私はチェックインの時「別料金でも構わないから」とは言いました。
ただ、これは客とホテルとの「あ、うん」の呼吸です。
ましてやチェックインの時は、2紙目も無料と言われています。
正直、定宿で追加の新聞代を取ると言われたのは初めてです。
私は思わず「今日の分も払いますか?」と嫌味を口にしてしまったほどです。
しかし彼は動じることなく平然と「いえ、今日の分は結構です」と、これまた客の神経を逆撫でする言葉を返してくれたのでした。

チェックアウトの際も、いつもならしっかりと係から引き継がれているはずのお詫びも一切なく、ましてや「いつもありがとうございます」という言葉すらなく、淡々と手続きは進み、私はホテルをあとにしました。
このホテルで「また来ます」と言わずに出てきたのはいつ以来でしょう。
結局帰り際もエントランスまで、私に「いってらっしゃいませ」と言葉を掛けてくれたスタッフは皆無でした。

正直なところ、このホテルのサービスの凋落はしばらく前から耳に入っていました。
しかしここまでサービスが乾いているとは。
私がこのホテルを訪れる事は、これでもうしばらく無いかもしれません。

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