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カミナリが落ちた!

2010.09.09

先週の日曜日の夜、上田市は局地的に激しい雨と落雷に見舞われました。
その時私は車で外出中でしたが、ワイパーを最速で動かしても前がまったく見えないほどの雨の激しさにただただ驚いたものです。

そして翌日。
早朝に出社してみると、留守電録音装置の電気が消えている事に気が付きました。
おかしいな、これまでこんな事はなかったのに、と思いながらコンセントを確認してみると、きちんと接続されています。
故障かと思いあれこれいじってみるのですが、悪いところが見当たりません。

次に気が付いたのは、今スイッチを入れたばかりのパソコンが立ち上がっていない事です。
スイッチを入れ忘れたかなと思い何度か起動させてみるのですが、ウンともスンとも言いません。
胸の内に不安な思いが膨らんできます。
念のために他のパソコンも次々と立ち上げてみます。

その間に電話の受話器を持ち上げてみると、ツーという通話音がしません。
他の電話機もすべて同様で、電話がまったく機能していない状態です。
ここに至って、我が社の電話とパソコン一式が、昨夜の落雷によってすべてダウンしてしまった事がわかりました。

他のパソコンは、私のパソコンのように作動しないという事はなくとりあえず画面は立ち上がるのですが、インターネットには接続できず、よってメールも確認できません。

そうこうしているうちに社員が次々に出社してきたので、当社の緊急事態を宣言致しました。
電話が来る可能性がある得意先はすぐに携帯電話で連絡を取り、事情を説明すること。
また、各々の携帯電話の番号を先方に知らせて、通信が復旧するまでお客様には絶対にご迷惑を掛けないこと。

その間に私は、弊社のパソコン関係一式をお任せしている業者さんとNTTの故障受付に修理依頼をしました。
ありがたい事に、どちらも午前9時過ぎには駆け付けてきて下さり、すぐさま修理が始まりました。

その時点で判明した故障は以下の通りです。

・電話機2回線・受話器5台すべて不通。
・留守電録音機、全損。
・パソコン1台(私のです)全損、1台故障。無線ルーター全損。雷用ガード全損。

修理はまずNTTの電話回線がお昼前に復旧しました。
お客様からの電話が受けられるようになり、まずはひと安心です。
が、留守電録音機は新品がくるまで、とりあえずNTTの代替機をお借りすることになりました。

大変なのはパソコン関連です。
幸か不幸か、仕事のデータはバックアップを取ってあったので支障なく済んだのですが、私のパソコンと周辺機器はすべておじゃん、新品に交換する事となりました。
業者の方の懸命な復旧作業により、設置がすべて済んで復旧したのが3日後の先日の夕方、新しいパソコンで3日分のメールを確認できた時は安堵で崩れそうになりました。

それにしても、しばらく前にうっかりして携帯電話をジーンズに入れたまま洗濯してしまいデータを紛失してしまった時もそうでしたが、こういう事態になって初めて、自分がいかにネットや携帯電話といった文明の利器に依存しているかが身に染みて分かりました。
ちなみにそれ以来、携帯電話のデータも折に触れしっかりバックアップを取るようになりました。

さて、そんなこんなで大変な騒ぎだったこの3日間。
ひとつパソコンで大変困ったことが。
それは皆様からのメールアドレスが消失してしまった事です。
このブログを見たお知り合いの皆様、文章は「メアド送ります」だけで構わないので1本メールを頂けないでしょうか。

カミナリの被害を受けるなんて対岸の火事と思っていたのが、決してそうではない事を思い知った今回の一件でした。

三遊亭鬼丸 真打昇進披露パーティ

2010.09.01

ファイル 183-1.jpg

6/16の当ブログにも取り上げた上田市出身の落語家、三遊亭鬼丸(きん歌改め)の真打昇進披露パーティが東京九段下のホテルグランドパレスで開かれ、私も出席して参りました。

むせ返るような猛暑の中、会場のホテルに到着すると、ロビーは既にパーティで出席する人で溢れかえっています。
事前に聞いたところでは、今日の出席者はざっと350名との事。
最近では結婚披露宴でもこれだけの人数は滅多に見受けられません。
周囲を見渡すと、私同様わざわざ上田から駆けつけた馴染みの顔もそこここに見受けられます。

待つことしばし、開会の案内があったのでパーティ会場へ移動すると、入口には師匠の三遊亭圓歌と並んで、本日の主役三遊亭鬼丸がお客様をお迎えしています。
そんな鬼丸の一点の曇りもない笑顔を眺めていたら、今日に至るまで彼が懸命に頑張ってきた姿が浮かんできて、思わず目頭が熱くなってしまいました。

一歩会場に足を踏み入れると、大きな部屋の真正面には、支援者から送られた幟や垂れ幕が所狭しと天井から飾られていて、その華やかさに思わず感嘆の声が出ます。

さて、いよいよ開宴。
司会者に促されて、後方の扉よりまずは師匠の圓歌、そのうしろから三遊亭鬼丸が登場、会場のあちらこちらから威勢のいい掛け声が飛び交います。
そのまま壇上に登ったところで、まずは圓歌師匠よりご挨拶。
それにしても落語家の挨拶というのは、プロと言ってしまえばそれまでですが、どうしてこのように粋で楽しいのでしょう?

引き続いて落語協会相談役の林家木久扇師匠、そして新宿末広亭の席亭より祝辞があり、そのあと鏡開きとなりました。

この日の鏡開きの四斗樽は上田市内の蔵元3社から提供され、そのうちの1社が当社です。
司会者の案内とともに3つの樽が壇上に移され、1つの樽に7名ずつ総勢21名、来賓の落語家や鬼丸の支援者の皆様に混じって各蔵元も壇に上げて頂き、鏡を開かせて頂きました。
樽を提供した蔵元を鏡開きの場でちゃんと壇上に乗せる、普段はあまり経験のない事だっただけに驚きましたが、だからこそ鬼丸のさり気ない心遣いに触れた気がして、嬉しい思いでいっぱいでした。

鏡開きのあとは三遊亭歌司師匠の音頭で乾杯、歓談のひとときとなりました。
主役の鬼丸はひとつひとつのテーブルを挨拶して回っています。
遠くから見ていても、鬼丸、いい笑顔です。

一方で多くの奥様方が食事の合間を縫って、林家木久扇師匠や柳家花禄師匠はじめ蒼々たる顔ぶれの落語家のサインをもらうためにテーブルを取り囲んでいます。

そんな中で私が勇気を出してご挨拶に伺った方、それが新宿末広亭の北村席亭でした。
もちろん初めてのご挨拶です。

思い起こせば学生時代、初めて足を運んだ寄席が新宿末広亭でした。
そこですぐに寄席の楽しさに魅せられ、間を置かずして次は同じサークルの仲間約20名を募って再度末広亭を訪れたところ、その日はクローズされていた2階の桟敷席を開放して下さり、仲間と共に思う存分落語の世界を堪能する事ができました。
ちなみにその日の大トリは、今は亡き古今亭志ん朝師匠でした。

それ以降も折に触れ足を運んでいる新宿末広亭。
私は悩んだ末に意を決して、席亭の席まで名刺交換に伺いました。
自己紹介すると席亭は笑顔で応対して下さり、奥様が上田市出身というご縁も含めて、楽しい会話に花が咲きました。
「今度見えたらぜひ声を掛けて下さいよ」
そうおっしゃる席亭のお言葉に、また末広亭に行く楽しみが増えた気がしました。

ちなみにこの日初めて知りましたが、鬼丸の奥様も末広亭で働いていて、それが縁で結ばれたのだとか。
とすれば、数多(あまた)いる落語家の中で、彼がよほど男として魅力に溢れていたという事でしょう。
初めてお目にかかった奥様は、和服の似合う、鬼丸にはもったいないくらい素敵な方でした。

さて、宴もクライマックス。
予定にはなかったという鬼丸の兄弟弟子や来賓の落語家の祝辞で大爆笑に包まれ、打って変わって女性ア・カペラ・カルテットの素敵な歌声に酔いしれ、そしていよいよ鬼丸本人の挨拶となりました。

今日に至るまでの14年の長かった歳月を振り返りながら、これからの決意を力強く語る鬼丸、カッコよかったです。

そして締めの挨拶として、兄弟子の三遊亭歌之介師匠がご挨拶。
これがまた笑わせて酔わせて、そして最後にほろりとさせる、噺家ならではの感涙物のスピーチでした。
最後に歌之介師匠の音頭で、全員で万歳三唱。
気がついたら3時間弱という時間があっという間に過ぎておりました。

お開きになってもそこここで写真のリクエストやお声掛けがやまない鬼丸の姿を目で追いながらそっと会場をあとにしようとした時、うしろから「ありがとうございました!」という鬼丸の声が。
振り返ると彼がこちらを向いて挨拶をしてくれています。
何だかそれだけで再び胸が熱くなって、「おめでとうございます!」と、心の底から思いを込めて声を掛けさせて頂きました。

さて翌朝の10時過ぎ、携帯電話が鳴るので出てみると鬼丸でした。
このたびの諸々のお礼を述べるために電話を掛けてくれたのでした。
その律儀さに心打たれながら、私はその時初めて彼をこう呼びました。
「頑張ってください、師匠!!」

YOSHIKIカード

2010.08.17

先日、日産スタジアムで行なわれたⅩ-JAPANのライブを観に行って参りました。
といっても、実際に行ったのは私ではなく、妻と娘の2人です。
残念ながら私の役割はチケットの手配まで。
本当は私もぜひ足を運びたかったのですが所要が重なり、一昨年の味の素スタジアム、昨年の東京ドームに続き、今年も私は寂しく留守番と相成りました。
そして私のおかげで(!)ステージ前のアリーナの良席を手に入れた2人は、それはそれは大興奮の時間を過ごしたらしく、興奮覚めやらぬまま、会場で手に入れたツアーグッズをごっそり抱えて先日帰って参りました。

今回アリーナのかなり前の優良席を入手できたのには、それなりの訳と苦労がありました。

それはさかのぼること数ヶ月前のある日、娘が私に「お父さん、VISAカードって持ってる?」
はい、持ってます。
「それをこのVISAカードに変えてほしいんだけど」
そう言って私の目の前に出されたPCの画面には「UNDERGROUND KINGDAM VISAカード」の文字。
何のこっちゃ?
娘が言うには実はこれ、Ⅹ-JAPAN のリーダー、YOSHIKI(ヨシキ)と提携したVISAカードらしいのです。

話を聞けば、このたび発行されたこのカード、入会すればX-JAPANのコンサートの優先予約が出来るのだとか。
そうか、そういう事か。
それならば、私もライブ大好きなので少しでも良い席で観たいのはよく分かる、よろしい、好奇心旺盛なのも手伝って、ぜひこのカードを取得してみようと即決です。

かくして私は翌日、早速この(通称)YOSHIKI・VISAを申し込み、と同時にこれまで持っていた別のVISAカードを解約しました。
そうこうして待つこと約1週間、ついにそのカードが自宅に届きました。

封を開いてそそくさと中身を取り出すと、カードの表側にはYOSHIKIの見目うるわしい写真がドンとプリントされています。
ほうほう、ファンの女性はこれだけでまずイチコロですな。
そして私は「これは飲み屋でのネタに使える」とワクワク。

続いて、同封されているパンフレットを取り出してよく読むと、そこにはカードの使用ポイント(1ポイント1,000円)に応じた数々の特典が・・・。
これが何ともスゴい。
書き写してみますね。

600ポイント YOSHIKIオリジナルTシャツ
3000ポイント YOSHIKI直筆サイン入りドラムスティック
6000ポイント YOSHIKIジュエリー(ボックスへ直筆サイン入り)
10000ポイント YOSHUKIと2ショット撮影(写真へYOSHIKI直筆サイン入り)
12000ポイント YOSHIKIと一緒にスタジオで未発表曲を視聴
15000ポイント YOSHUKIがスタジオで生演奏をして、その内容を録音したCDに直筆サインを入れてプレゼント

はっきり言ってファンにとっては垂涎ものです。
それにしても大企業というのは、こんなカードを考え付くアイディアも凄いけれど、そのアイディアをアーティストと提携していとも簡単に実現させてしまう力を持っている、その凄さをまざまざと感じました。
それにしても、と私は考えました。
最後の特典を手に入れるには・・・カードで家でも買うか。

さて、そして肝心のライブのチケット優先予約はというと・・・どこにも書いてありません。
VISAカードのホームページを見ても、改めてご案内差し上げます、という内容がサラリと載っているだけ。
おいおい、大丈夫かいな。

しかしその心配も杞憂に終わりました。
数日後、娘から見せられたPCのX-JAPANのホームページには、今回のこのカード入会者に対する最優先予約の案内が!

そして指折り数えて待った発売日当日。
発売開始時刻の午前0時ちょうどに、私はいつもながら酔っ払ってベロベロになっている頭をフル回転させて、チケット申し込みの入力を無事完了しました(酔った頭で入力ミスがあってはならじと私は指示をしただけ、実際入力したのは娘です)。
それから数日。
PCのメールに「当選しました」の文字が躍りました!

ただし文面を読んでいくと、チケットが発送されるのはそれから更に待つこと1ヵ月後。
コンサートの10日前なんですよね。

今回わざわざ優先予約の特典欲しさに入会したVISAカード。
VISAよ、そしてコンサート事務局よ、そんな私の思いに報いるためにも、せめてアリーナ席、でもアリーナ席でも後方はステージが観えないというから、欲を言えばアリーナ席の前方をぜひとも送ってくれたまえ!
そして8月上旬のある日、その思いは叶えられました。

娘からの電話で「チケットが届いたから開けていい?」と言うのを制し、「いやいや、お父さんが取ったのだからお父さんが開封します」とチケットを事務所まで持ってこさせ、ドキドキしながら封筒を開きました。
目の前のパソコンにはあらかじめ日産スタジアムの座席表が出してあります。

そしてソロソロとチケットを取り出して、席番を確認、PCの座席表と照らし合わせると・・・おおっ、思いっきり前じゃん!
感動!
ステージに向かってほぼド真ん中の、前から約10数列目。
それまでの苦労が一気に報われた思いでした。

VISAよ、コンサート事務局よ、ありがとう。
今回は素直に感謝!です。
次のX-JAPANのライブでも、ぜこのチケット優先予約が活かされる事を願っています。

さて、最初の特典のオリジナルTシャツを手に入れるためにカードでも使うか。
しかしそれには一体いつまでかかるのやら・・・。

父と暮らせば

2010.08.12

先日、上田市内のライブハウス「troubadoul the LOFT」(トラバドゥール・ザ・ロフト)のオーナーから、お芝居のお誘いがありました。

お芝居なんて一体どれくらいぶりでしょう?
たぶん学生時代に芝居好きの先輩に連れられて、新宿の紀伊国屋ホールでつかこうへい劇団を観て以来かもしれません。
かくの如くお芝居とはまったく縁のない私ですが、こういうのは誘われた時こそがチャンスと思って、意を決して行って参りました。

そのお芝居は、井上ひさし原作の戯曲「父と暮らせば」。
しかも今回は、ひとり芝居です。

あとで知ったのですが、この「父と暮らせば」、戯曲としては有名な作品なんですね。
小松座をはじめとしてこれまで数々の劇団や、あるいは二人芝居やひとり芝居で数え切れないほど演じられてきて、数年前には宮沢りえ・原田芳雄・浅野忠信で映画化もされています。

舞台は終戦から三年後の広島。
図書館に勤務する主人公の美津江は、原爆投下で親しい人を失い、自分ひとり生き残った罪悪感を背負いながら父竹造とふたりで暮らしています。
そんな中、図書館に通うひとりの青年から好意を寄せられた美津江は、その罪悪感ゆえに彼との一歩を踏み出せず、そんな彼女を竹造は励まし、そして青年との交際を後押しします。
ある日青年から、故郷の岩手へ一緒に行こうと誘われた美津江を、それは結婚の申し込みだからぜひ行くべきだと、竹造は必死に説得します。
そんな父の姿に美津江は次第に心を動かされ、そして最後に大きなドンデン返しが・・・。

このお芝居を観たのは奇しくも8月6日、広島に原爆が投下された日でした。
ライブハウスのオーナーはもちろんそれを意図したのでしょうけれど、でもそんな思いもあいまって、この作品は私の予想をはるかに越えた大きな感動をもたらしてくれたのでした。

ちなみにこのライブハウスはキャパ50名ほどの本当に小さな「小屋」ですが、いつも意表を突いたメニューを提供してくれます。
ある時は「太陽にほえろ」テーマ曲をはじめ数々の名曲を作り出した井上堯之、ある時は一世を風靡したパンクバンド「アナーキー」のボーカル仲野茂、またある時は日本のフュージョン界を牽引するバンド「PRISM」(4/18の当ブログ登場)・・・。
足を運ぶたびにステージに釘付けになり、そしてそのアーティストの演奏に心奪われ歓声を上げています。

そして今回のひとり芝居。
このライブハウスが初めてお芝居を呼ぶからにはきっと何かあるはずだろうと、そんな期待を込めて当日足を運びました。

開演前、ささやかな出来事がありました。
私はこのライブハウスでは定位置の、数席しかないカウンターに腰掛けて、生ビールをちびちび飲みながら開演を待っていました。
そうしたらひとりの男性が、私と壁の間の窮屈な場所に座ったんですね。

椅子をずらそうにも、反対側は開演までドリンクを販売するスペースになっていて移動できません。
そこで私は意を決してその男性に振り向き、「狭くて申し訳ありません。でもお芝居が始まったら椅子を移動させますので」とお詫びを述べたところ、その男性は微笑んで「いいんです。気になさらないで下さい」とおっしゃって下さったので、お言葉に甘えてそのまま腰を据えていました。

さて、いよいよ開演。
場内の照明が落とされ、いよいよ俳優さんが登場。
と思ったら、隣にいたその男性がひょいと椅子から降りて、トコトコとステージに向かっていったのです。
そう、その方こそ今日のお芝居を演じる佐々木梅治さん、その方でした。

舞台の上には椅子がひとつと小さな置物の電灯がひとつ、たったそれだけです。
そこに手帳を手にした佐々木梅冶さんがステージに上がり、客席に語り掛けます。
自己紹介と簡単な挨拶があったあと、小さな手帳を手にして、「それでは始めます」。

手帳と思ったのは台本でした。
佐々木さんは椅子に座ったまま、最初はそれを朗読する形でお芝居は始まりました。

登場人物は主人公の美津江と父親の竹造、たった2人です。
そして2人の会話が始まると、佐々木さんはおもむろに椅子から立ち上がり、感情たっぷりに台詞を語りつつ、全身を躍動させて父と娘を演じます。
そして一転して直立不動になって、台本のページをめくりながら朗読する、そんな静と動の繰り返しです。

客席一同その迫力に圧倒されながら、いつの間にか皆が我を忘れてステージに釘付けになっています。

あっという間の1時間20分、佐々木梅冶さんは最後の1ページを語り終えると台本を静かにパタンと閉じ、それと同時にステージの照明が落とされ真っ暗となり、その瞬間場内は割れんばかりの拍手喝采となりました。

拍手が止むのを待って再び照明が灯され、ステージの上で佐々木さんがこの作品に賭ける思いを語り始めました。
既に上演回数が百数十回を越えている事、いつか井上ひさしさんにこのお芝居を観て頂きたいと思っていながらついにその思いが遂げられなかった事、しかしある日突然井上ひさしさんご本人から花束が届いて驚愕した事、そして今も台本にはその時撮影した花束と自分の写真をお守りとして入れてい事・・・。
その言葉ひとつひとつに、この「父と暮らせば」に込める佐々木さんの情熱と愛情とが溢れている気がしました。

ちなみにこの佐々木梅冶さん、声優としてもご活躍で、我々が知る数多くのキャラクターの声を演じているんですね。
確かに魅惑的な素晴らしい声でした。

思い切って一歩を踏み出したおかげで、またひとつ新しい世界に触れる事ができた1日でした。

サービスの精神とは?

2010.07.06

週末を利用して、毎年恒例の社員旅行へ行って参りました。
社員旅行とは言っても、ほんの数名の勝手気ままな小旅行です。
今年の行き先は能登半島の和倉温泉周辺をチョイス。
今回はその時宿泊した旅館での出来事です。

ちなみにこの旅館はネットで調べて選びました。
そこそこの予算で評判の良い旅館を片っ端から検索し、名前の挙がった数軒のうちの1軒をその場でネット予約致しました。
もちろんこれはある意味賭けで、この選択が吉と出るか凶と出るか、わくわくしながらその日を待ちました。

さて当日、小雨がそぼ降る七尾市内を観光した我々は、午後4時頃その旅館に到着しました。
正面玄関に車を付けると、早速和服姿の係の女性が駆け寄ってきて、気持ちの良い挨拶を頂きます。
車を預けて中に入り、まずはチェックイン。
名前を告げると、担当の女性は前日に予約確認の電話を頂いた方だったのか、あらっ!という笑顔を頂きながら心地良い手続きが進みました。

旅館やホテルに宿泊する際、チェックインは最初に心躍るひとときです。
チェックインの時の印象の良し悪しによって、その旅館やホテルへの期待度も大いに変わって参ります。
そんな意味からも、今回の宿泊はスムーズかつ快適な流れの中で始まりました。

ささやかな事件が起こったのはその次でした。

受付のその女性と、もうひとりフロントの責任者らしい男性のふたりが、フロア奥の広々としたラウンジを示しながら「あちらでお茶をお出ししますね。その時に(リザベーションカードに)サインを頂きます」と言ったのを受けて、我々はラウンジ内の窓側のテーブル席に腰を落ち着けて、能登の海岸風景をしばし楽しんでいました。

余談ですが、山国に住む信州人の海に対する思い入れは、それはそれはハンパではありません。
乗り物に乗っていて海が見えた瞬間に「海だっ!!」と叫ぶのは当たり前。
電車に乗った信州人が、海が見えると全員が海側の座席に移動して電車が傾くという話もあながち冗談には聞こえないほど、長野県民にとって海は憧れなのです。

閑話休題。
さて、そんな訳で、我々一行もしばらくは海の眺めに見とれていたのですが、それにしてもお茶が出るどころか旅館のスタッフが来る気配すら一向にありません。
そうこうするうちにも、先着のお客さんは次々に客室係に案内されて部屋へ移動していくのを見て、ついにラウンジ内で立っている和服の女性に声を掛けました。
「待つように言われているのですがずっと待たされっ放しで、一体どうなっているのですか?」
怪訝な顔をしたその女性から返ってきた答えは「お待ち頂くようにという事でしたら、そのまま今しばらくお待ちください」というものでした。

それでも待てど暮らせど誰も来る気配がないのにシビレを切らした私は、フロントに折り返し、先ほど対応してくれたフロントのおふたりにちょっと語気を荒げて「ずっと待たされているのですが、どうなっているのでしょう?」と訪ねました。
その瞬間、おふたりの顔色がさっと変わり、「申し訳ございません!」というお詫びの言葉と共にカウンターから飛び出して来られました。
どうやら手違いで我々には引き継ぎが出来ていなかったようです。
素直に非を詫び再三再四頭を下げるおふたりの姿にすぐにわだかまりも溶け、私はひとまずテーブルに戻りました。

そんな私を追うように、係のふたりはテーブルまで飛んできて、再度のお詫びを繰り返します。
そしてこの短時間でいつの間に用意したのか、「よろしかったらお使いください」と、そのラウンジの無料のコーヒー券が人数分入った包みを手渡してくれたのです。
その言葉と態度には、フロントマンとしての気持ちと誠意がしっかりとこもっていました。

私は別にお詫びの品物が欲しかった訳ではもちろんありません。
ただ、クレームが付いた瞬間に何が起きたのかを察し、そして瞬時にこのような精一杯の対応を示してくれたのが、この旅館の姿勢そのものに触れたような気がして嬉しかったのです。

そのあと部屋まで案内してくれたのは、先ほどラウンジ内で曖昧な返答をした女性でした。
しかし彼女も、何が起きていたのかが分からなかった事を素直に認め、部屋に入ってから丁重に詫びの言葉を重ねました。
その事で我々の気持ちもより一層和み、彼女といろいろな会話が弾みました。

ところで、この旅館の食事のシステムがひと味違っていて、私はとても気に入りました。
そのシステムとは、食事処の営業時間内であれば、宿泊客は何時に足を運んでも構わないというもの。
通常は部屋に通されるのと同時に食事の時間を決めさせられ、その前後の時間まで拘束されてしまうのが常なのですが、こちらではいつ食事に行ってもいいというたったそれだけの事で、それ以外の時間も気持ちに余裕を持って過ごす事ができました。
加えて、日頃夕食の時間がかなり遅い私にとっては、多少遅く食事処に行っても許される、これは大変ありがたいシステムでした。

ちなみに、食事中に何気なく周りを見渡すと、先ほど部屋まで案内してくれた女性がせっせと給仕をしていて、目が会うと気持ちのよい笑顔と挨拶とを我々に向けてくれました。
その笑顔は決して義務感からでなく、真心のこもった暖かなものでした。
たったこれだけの事で、食事の時間がさらに楽しいひとときとなりました。

そして翌朝のチェックアウト。
応対をして下さったのは昨日と変わらぬおふたりでした。
ここで今一度おふたりから丁重なお詫びがありました。
そこで私は「温泉をはじめとして館内の施設といった「ハード」はもちろんですが、今回は皆様のサービス精神という「ソフト」を堪能させて頂きました」と返答致しました。

確かに最初は些細なミスから始まった今回の滞在でしたが、そこからの捲土重来を期したスタッフの皆様の態度と姿勢が、逆に大きな感動を感じさせて頂く結果となった、私も大いに学ばせて頂いた価値ある1泊でした。

更に驚いたのは、チェックアウトを終え、車に向かう私たちを見送って下さった(たぶん)女将からも「今回は大変な失礼をしてしまいまして本当に申し訳ございませんでした」という言葉を頂いたこと。
よく「ほう・れん・そう」、即ち「報告・連絡・相談」という、企業として欠かす事のできない三要素が挙げられますが、この点においてもこの旅館はそれが徹底されていると、改めて感心した次第です。
そんな女将の言葉に、私も「次にご縁があったその時はぜひまた宜しくお願い致します」と感謝の言葉を述べて旅館をあとにしたのでした。

この旅館は、和倉温泉「ゆけむりの宿 美湾荘」といいます。

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