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父と暮らせば

2010.08.12

先日、上田市内のライブハウス「troubadoul the LOFT」(トラバドゥール・ザ・ロフト)のオーナーから、お芝居のお誘いがありました。

お芝居なんて一体どれくらいぶりでしょう?
たぶん学生時代に芝居好きの先輩に連れられて、新宿の紀伊国屋ホールでつかこうへい劇団を観て以来かもしれません。
かくの如くお芝居とはまったく縁のない私ですが、こういうのは誘われた時こそがチャンスと思って、意を決して行って参りました。

そのお芝居は、井上ひさし原作の戯曲「父と暮らせば」。
しかも今回は、ひとり芝居です。

あとで知ったのですが、この「父と暮らせば」、戯曲としては有名な作品なんですね。
小松座をはじめとしてこれまで数々の劇団や、あるいは二人芝居やひとり芝居で数え切れないほど演じられてきて、数年前には宮沢りえ・原田芳雄・浅野忠信で映画化もされています。

舞台は終戦から三年後の広島。
図書館に勤務する主人公の美津江は、原爆投下で親しい人を失い、自分ひとり生き残った罪悪感を背負いながら父竹造とふたりで暮らしています。
そんな中、図書館に通うひとりの青年から好意を寄せられた美津江は、その罪悪感ゆえに彼との一歩を踏み出せず、そんな彼女を竹造は励まし、そして青年との交際を後押しします。
ある日青年から、故郷の岩手へ一緒に行こうと誘われた美津江を、それは結婚の申し込みだからぜひ行くべきだと、竹造は必死に説得します。
そんな父の姿に美津江は次第に心を動かされ、そして最後に大きなドンデン返しが・・・。

このお芝居を観たのは奇しくも8月6日、広島に原爆が投下された日でした。
ライブハウスのオーナーはもちろんそれを意図したのでしょうけれど、でもそんな思いもあいまって、この作品は私の予想をはるかに越えた大きな感動をもたらしてくれたのでした。

ちなみにこのライブハウスはキャパ50名ほどの本当に小さな「小屋」ですが、いつも意表を突いたメニューを提供してくれます。
ある時は「太陽にほえろ」テーマ曲をはじめ数々の名曲を作り出した井上堯之、ある時は一世を風靡したパンクバンド「アナーキー」のボーカル仲野茂、またある時は日本のフュージョン界を牽引するバンド「PRISM」(4/18の当ブログ登場)・・・。
足を運ぶたびにステージに釘付けになり、そしてそのアーティストの演奏に心奪われ歓声を上げています。

そして今回のひとり芝居。
このライブハウスが初めてお芝居を呼ぶからにはきっと何かあるはずだろうと、そんな期待を込めて当日足を運びました。

開演前、ささやかな出来事がありました。
私はこのライブハウスでは定位置の、数席しかないカウンターに腰掛けて、生ビールをちびちび飲みながら開演を待っていました。
そうしたらひとりの男性が、私と壁の間の窮屈な場所に座ったんですね。

椅子をずらそうにも、反対側は開演までドリンクを販売するスペースになっていて移動できません。
そこで私は意を決してその男性に振り向き、「狭くて申し訳ありません。でもお芝居が始まったら椅子を移動させますので」とお詫びを述べたところ、その男性は微笑んで「いいんです。気になさらないで下さい」とおっしゃって下さったので、お言葉に甘えてそのまま腰を据えていました。

さて、いよいよ開演。
場内の照明が落とされ、いよいよ俳優さんが登場。
と思ったら、隣にいたその男性がひょいと椅子から降りて、トコトコとステージに向かっていったのです。
そう、その方こそ今日のお芝居を演じる佐々木梅治さん、その方でした。

舞台の上には椅子がひとつと小さな置物の電灯がひとつ、たったそれだけです。
そこに手帳を手にした佐々木梅冶さんがステージに上がり、客席に語り掛けます。
自己紹介と簡単な挨拶があったあと、小さな手帳を手にして、「それでは始めます」。

手帳と思ったのは台本でした。
佐々木さんは椅子に座ったまま、最初はそれを朗読する形でお芝居は始まりました。

登場人物は主人公の美津江と父親の竹造、たった2人です。
そして2人の会話が始まると、佐々木さんはおもむろに椅子から立ち上がり、感情たっぷりに台詞を語りつつ、全身を躍動させて父と娘を演じます。
そして一転して直立不動になって、台本のページをめくりながら朗読する、そんな静と動の繰り返しです。

客席一同その迫力に圧倒されながら、いつの間にか皆が我を忘れてステージに釘付けになっています。

あっという間の1時間20分、佐々木梅冶さんは最後の1ページを語り終えると台本を静かにパタンと閉じ、それと同時にステージの照明が落とされ真っ暗となり、その瞬間場内は割れんばかりの拍手喝采となりました。

拍手が止むのを待って再び照明が灯され、ステージの上で佐々木さんがこの作品に賭ける思いを語り始めました。
既に上演回数が百数十回を越えている事、いつか井上ひさしさんにこのお芝居を観て頂きたいと思っていながらついにその思いが遂げられなかった事、しかしある日突然井上ひさしさんご本人から花束が届いて驚愕した事、そして今も台本にはその時撮影した花束と自分の写真をお守りとして入れてい事・・・。
その言葉ひとつひとつに、この「父と暮らせば」に込める佐々木さんの情熱と愛情とが溢れている気がしました。

ちなみにこの佐々木梅冶さん、声優としてもご活躍で、我々が知る数多くのキャラクターの声を演じているんですね。
確かに魅惑的な素晴らしい声でした。

思い切って一歩を踏み出したおかげで、またひとつ新しい世界に触れる事ができた1日でした。

サービスの精神とは?

2010.07.06

週末を利用して、毎年恒例の社員旅行へ行って参りました。
社員旅行とは言っても、ほんの数名の勝手気ままな小旅行です。
今年の行き先は能登半島の和倉温泉周辺をチョイス。
今回はその時宿泊した旅館での出来事です。

ちなみにこの旅館はネットで調べて選びました。
そこそこの予算で評判の良い旅館を片っ端から検索し、名前の挙がった数軒のうちの1軒をその場でネット予約致しました。
もちろんこれはある意味賭けで、この選択が吉と出るか凶と出るか、わくわくしながらその日を待ちました。

さて当日、小雨がそぼ降る七尾市内を観光した我々は、午後4時頃その旅館に到着しました。
正面玄関に車を付けると、早速和服姿の係の女性が駆け寄ってきて、気持ちの良い挨拶を頂きます。
車を預けて中に入り、まずはチェックイン。
名前を告げると、担当の女性は前日に予約確認の電話を頂いた方だったのか、あらっ!という笑顔を頂きながら心地良い手続きが進みました。

旅館やホテルに宿泊する際、チェックインは最初に心躍るひとときです。
チェックインの時の印象の良し悪しによって、その旅館やホテルへの期待度も大いに変わって参ります。
そんな意味からも、今回の宿泊はスムーズかつ快適な流れの中で始まりました。

ささやかな事件が起こったのはその次でした。

受付のその女性と、もうひとりフロントの責任者らしい男性のふたりが、フロア奥の広々としたラウンジを示しながら「あちらでお茶をお出ししますね。その時に(リザベーションカードに)サインを頂きます」と言ったのを受けて、我々はラウンジ内の窓側のテーブル席に腰を落ち着けて、能登の海岸風景をしばし楽しんでいました。

余談ですが、山国に住む信州人の海に対する思い入れは、それはそれはハンパではありません。
乗り物に乗っていて海が見えた瞬間に「海だっ!!」と叫ぶのは当たり前。
電車に乗った信州人が、海が見えると全員が海側の座席に移動して電車が傾くという話もあながち冗談には聞こえないほど、長野県民にとって海は憧れなのです。

閑話休題。
さて、そんな訳で、我々一行もしばらくは海の眺めに見とれていたのですが、それにしてもお茶が出るどころか旅館のスタッフが来る気配すら一向にありません。
そうこうするうちにも、先着のお客さんは次々に客室係に案内されて部屋へ移動していくのを見て、ついにラウンジ内で立っている和服の女性に声を掛けました。
「待つように言われているのですがずっと待たされっ放しで、一体どうなっているのですか?」
怪訝な顔をしたその女性から返ってきた答えは「お待ち頂くようにという事でしたら、そのまま今しばらくお待ちください」というものでした。

それでも待てど暮らせど誰も来る気配がないのにシビレを切らした私は、フロントに折り返し、先ほど対応してくれたフロントのおふたりにちょっと語気を荒げて「ずっと待たされているのですが、どうなっているのでしょう?」と訪ねました。
その瞬間、おふたりの顔色がさっと変わり、「申し訳ございません!」というお詫びの言葉と共にカウンターから飛び出して来られました。
どうやら手違いで我々には引き継ぎが出来ていなかったようです。
素直に非を詫び再三再四頭を下げるおふたりの姿にすぐにわだかまりも溶け、私はひとまずテーブルに戻りました。

そんな私を追うように、係のふたりはテーブルまで飛んできて、再度のお詫びを繰り返します。
そしてこの短時間でいつの間に用意したのか、「よろしかったらお使いください」と、そのラウンジの無料のコーヒー券が人数分入った包みを手渡してくれたのです。
その言葉と態度には、フロントマンとしての気持ちと誠意がしっかりとこもっていました。

私は別にお詫びの品物が欲しかった訳ではもちろんありません。
ただ、クレームが付いた瞬間に何が起きたのかを察し、そして瞬時にこのような精一杯の対応を示してくれたのが、この旅館の姿勢そのものに触れたような気がして嬉しかったのです。

そのあと部屋まで案内してくれたのは、先ほどラウンジ内で曖昧な返答をした女性でした。
しかし彼女も、何が起きていたのかが分からなかった事を素直に認め、部屋に入ってから丁重に詫びの言葉を重ねました。
その事で我々の気持ちもより一層和み、彼女といろいろな会話が弾みました。

ところで、この旅館の食事のシステムがひと味違っていて、私はとても気に入りました。
そのシステムとは、食事処の営業時間内であれば、宿泊客は何時に足を運んでも構わないというもの。
通常は部屋に通されるのと同時に食事の時間を決めさせられ、その前後の時間まで拘束されてしまうのが常なのですが、こちらではいつ食事に行ってもいいというたったそれだけの事で、それ以外の時間も気持ちに余裕を持って過ごす事ができました。
加えて、日頃夕食の時間がかなり遅い私にとっては、多少遅く食事処に行っても許される、これは大変ありがたいシステムでした。

ちなみに、食事中に何気なく周りを見渡すと、先ほど部屋まで案内してくれた女性がせっせと給仕をしていて、目が会うと気持ちのよい笑顔と挨拶とを我々に向けてくれました。
その笑顔は決して義務感からでなく、真心のこもった暖かなものでした。
たったこれだけの事で、食事の時間がさらに楽しいひとときとなりました。

そして翌朝のチェックアウト。
応対をして下さったのは昨日と変わらぬおふたりでした。
ここで今一度おふたりから丁重なお詫びがありました。
そこで私は「温泉をはじめとして館内の施設といった「ハード」はもちろんですが、今回は皆様のサービス精神という「ソフト」を堪能させて頂きました」と返答致しました。

確かに最初は些細なミスから始まった今回の滞在でしたが、そこからの捲土重来を期したスタッフの皆様の態度と姿勢が、逆に大きな感動を感じさせて頂く結果となった、私も大いに学ばせて頂いた価値ある1泊でした。

更に驚いたのは、チェックアウトを終え、車に向かう私たちを見送って下さった(たぶん)女将からも「今回は大変な失礼をしてしまいまして本当に申し訳ございませんでした」という言葉を頂いたこと。
よく「ほう・れん・そう」、即ち「報告・連絡・相談」という、企業として欠かす事のできない三要素が挙げられますが、この点においてもこの旅館はそれが徹底されていると、改めて感心した次第です。
そんな女将の言葉に、私も「次にご縁があったその時はぜひまた宜しくお願い致します」と感謝の言葉を述べて旅館をあとにしたのでした。

この旅館は、和倉温泉「ゆけむりの宿 美湾荘」といいます。

三遊亭鬼丸誕生

2010.06.16

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上田市出身の落語家、三遊亭きん歌がこの秋真打に昇進し、晴れて三遊亭鬼丸(おにまる)を名乗ることになりました。

師匠は落語協会会長の三遊亭圓歌。
二つ目昇進と同時に「きん歌」に改名してから苦節10年、その二つ目離れした話芸に私も魅了されていたひとりなので、この日を今か今かと待っておりました。

ちなみにきん歌と私との個人的な出会いは数年前。
それまでもきん歌は、折に触れ故郷の上田で落語を披露したり地元メディアに登場したりしていたのでよく知っていたのですが、ある日そんな彼から連絡があり、ちょっと相談があるとの事で我が社を訪ねてきてくれました。

しばし四方山話で盛り上がったあと、きん歌曰く、今度自分が高座を務める落語会で趣向を凝らしたい、ついては協力してはもらえないだろうか、との事。
その頃から寄席通いが大好きだった私は一も二もなく快諾し、早速ふたりで打ち合わせに入りました。
その趣向とは、次の落語会で「禁酒番屋」というネタを披露した際に、お客様に独自のラベルを貼ったお酒を配りたいというものでした。

「禁酒番屋」、簡単に説明します。
家中の席で酒による殺傷事件が起こった事から藩士一同に禁酒令が発せられ、酒の持ち込みを禁じるための禁酒番屋なるものが設けられました。
そんな中、大酒飲みの藩士近藤は大胆にも酒を持ってくるように酒屋に命じ、それを受けた酒屋はあの手この手で禁酒番屋を突破すべく策を講じます。
まず最初に考えたのが、酒をカステラと偽って持ち込む方法。
しかしカステラを重そうに運ぶ仕草でバレそうになり「これは水カステラというもので」と必死に誤魔化そうとするも・・・。

そんな噺になぞらえて、きん歌のアイディアで用意した一合徳利のラベルは、ズバリ「水カステラ」。
そしてビンの裏側には「但し、御門をお通りの際はお気を付けて下さい」。
ユーモアとウイットに富んだこのお酒は、落語会の帰りにお客様に配られました。

そんなきん歌との邂逅があって月日が経ち、そして迎えた先月。
彼が支援者の方々と一緒に、待ちに待った真打昇進の挨拶にやってきました。
ようやくこの日が来たかという嬉しさが胸に込み上げ、気が付けば私も心の底から何度も何度も「おめでとう!」の言葉を繰り返しておりました。

その直後、上田市内の宴会場で「真打に昇進するきん歌を応援してやろう会」が開催され、予想を遥かに上回る200名が会場に駆け付け、会場は蒸せ返るような熱気に包まれました。
(写真は、その場で挨拶するきん歌)

そして8月には東京で「三遊亭鬼丸真打昇進披露の宴」が開かれ、9月から10月に掛けて都内4つの寄席で40日に渡り真打披露興行が行なわれます。

私も早く彼を「師匠!」と呼べる日を、そして真打披露興行では「待ってました!」の掛け声を掛けられる日を、そして彼との話の中でも出た「芝浜」をはじめ三遊亭鬼丸の大ネタを聴く事ができる日を、今から首を長くして待っています。

鬼丸、頑張れ!

武士道シックスティーン

2010.04.29

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誉田(ほんだ)哲也という作家がいます。

「ジウ」三部作や「ストロベリーナイト」をはじめとする、パワフルな警察小説を立て続けに発表。
そのエンターテイメント性に満ちたストーリー展開と魅力溢れる登場人物に惹かれて次から次へと彼の著書を読み漁る、私もそんな誉田哲也ファンのひとりです。

そんな彼の一連の作品のひとつとして何気なく読み始めた初の青春小説「武士道シックスティーン」。
最初は、誉田哲也が青春小説?そんな思いに駆られながら、しかしページをめくる毎に、私はこの作品にすっかり魅了され、虜となり、あっという間に読了し、最後は惜しむようにページを閉じていたのでした。
喫茶店の片隅で最後の一行を読み終えた瞬間、40歳半ばのこのオジサンは年甲斐もなく、目尻に溜まった涙を周囲にバレないようにぬぐおうとあたふたしながら、しばしその感動を噛み締めてボーっと放心状態のままでした。

物語は、関東の名門剣道部に所属する女子高生ふたりを主人公に、緻密に描かれた剣道の練習や試合のシーン(誉田哲也の本領発揮!)を随所に取り入れながら、彼女たちの出会いや別れ、悩みや苦悩を、笑いあり涙ありで描いています。
オジサン、せめてもう25歳若かったらな、そんな気持ちに思わず駆られてしまった、爽やかで若々しい青春小説です。

ちなみに著者プロフィールの一文「本書は著者初の、人がひとりも死なない青春エンターテイメントである」には思わず噴き出してしまいました。

さて、そしてこの4月。
「武士道シックスティーン」がついに映画化されました。
やっぱ人気あったんだね、この小説。
読み終えてから封切りまでのこの日を指折り数えて待ってました。

それでですね。
先週末、大切な方との会食があって上京した際、翌日に時間を作って早速観て参りました。
(余談ですが、その方との今回の会食のテーマは「ホワイトアスパラガス」。次から次へと繰り出される「ホワイトアスパラ」づくしの品々に、春の香りを満喫して参りました。)

さて、向かったのは新宿三丁目に近いミニシアター。
封切翌日の日曜日だったこともあり、売り切れを恐れて少し早めに劇場に足を運び、全席指定の座席表から私の好きな、少し後方で通路側の座席を無事取ることができました。
ちなみにこの全席指定というシステム、私は嫌いです。
好きな席を好きなように選ぶのも、映画館に通う醍醐味のひとつだと思うのですが・・・。

さて、観終わっての感想。
とても良かったです。

雑誌などで映画評論家の採点を見ると決して高い評価は与えられていないのですが、でも私にはとても面白かったし楽しめました。
原作の冒頭から最後までを忠実に、そして丁寧に描き切っていて、それはそれはとても素敵な作品と思いました。

何から何まで対照的な主人公の女子高生ふたりのやり取りに大爆笑したり、そうかと思いとふたりの心の揺れ動きが自分の心の琴線に触れて思わず涙が溢れたり・・・。

これから観る方のためにストーリーには触れませんが、主人公ふたりの心の動きを、あえて台詞を多用せずにできるだけ表情や動作で表現しようと試みた、その丁寧な作り込みにとても好感が持てました。

あえてひとつだけ難点を挙げるとすれば、主人公ふたりの剣道のシーンは、もっとレベルの高い竹刀捌きを見せてほしかった。
どう見ても、これが全国トップレベルの剣道とは思えません。
まあスタントではなく女優さん本人が実際に演じているのだから仕方ないといえばないのですけどね。

なお小説は続編として「武士道セブンティーン」、さらに「武士道エイティーン」も出ています。
こちらも胸キュン(死語?)の感動ものです。
もしよろしければぜひご一読あれ。

PRISM

2010.04.18

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PRISMというフュージョンバンドがいます。
1975年に結成された、ギター・ベース・ドラムスの3ピース構成の、日本で最初のフュージョンバンドです。

そのPRISMのギタリスト、和田アキラ氏を知ったのは今から15年前。
私が大好きなフュージョンバンド「RX」のサポートを努めていたのが和田アキラ氏で、聴いた瞬間、日本早弾き三大ギタリストにも数えられるその卓越したギターテクニックの虜になったのでした。

そして時は経て昨年末。
日頃からお世話になっている上田市内のライブハウスのオーナーから電話があり「明日ライブに来ない?和田アキラっていう人が来るんだけれどさ」。
えっ、和田アキラ?
何で今ここでその名前が?
考えるまでもなく「行きます行きます!」と二つ返事をしておりました。

そして翌日のライブ。
たったひとりでギターをかき鳴らす和田アキラさんの姿を見て、15年前の感動が蘇ってきて、改めてそのカッコよさに釘付け。
興奮覚めやらぬ中、ライブ終了後はオーナーのご好意で打ち上げに参加させて頂きました。
まずは和田アキラを知るきっかけになった、擦り切れるほどに聴き込んだCDにサインをもらいご満悦。
そして話をしながら、いつの間にか2月に長野市で開かれるPRISMのライブに足を運ぶ固い約束をしておりました。

翌日から、遅れ馳せながら初めて買ったPRISMのCD、最新アルバムの「INVITE」を運転中に数え切れないほど聴き込んで、そして迎えた長野市でのライブ。
いざ会場に着いてみると、キャパ50人ほどの狭い店内は立錐の余地もないほどの超満員、私は最前列のわずかなスペースをようやく見つけ、息もつけないような酸欠状態の中でライブは始まりました。

ギターの和田アキラに加え、小田和正や中島みゆきのバックバンドを努めてきたドラムの木村万作、そして昨年まで長年高橋真梨子のバックでプレーしてきたベースの岡田治郎、この3名で繰り出す音楽は、それはそれはパワフルかつテクニカルで、2時間半に渡るライブが終了した時はPRISMサウンドの虜となっていました。

そして迎えた4月10日、この半年に渡るPRISMのツアーのトリを飾ったのは他でもない、オーナーのリクエストで急遽決まった、先程も書いた上田のライブハウスでした。

当日、朝から慌しく仕事を片付け、何とか時間内に着くことが出来た店内は、落ち着いた雰囲気で皆がテーブルでドリンクを傾けています。
私と妻も2列目のテーブルに席を取り、ゆっくりビールを飲みながら待つ事しばし、場内が暗転してメンバーが登場し演奏が始まりました。

うん、やっぱりカッコいい。
しかも3人とも鳥肌が立つようなテクニック。
すっかり曲目を覚えた上で臨んだ今回のライブは、前回の長野とは演奏リストも多少変更があったり、あるいは同じ曲でも各々のプレーが微妙に変わっていることが分かったりで、感動も倍増。
私はと言えば、いつの間にか曲の終わりや各自のソロのあとには歓声を上げていて、ついには2回のアンコールでは「ブラボー!」を連呼する始末でした。

そしてその感激覚めやらぬまま、今回もそのまま居残って参加させて頂いた打ち上げ。
楽しい時間は際限がありません。
でも頃合いを見計らって、そろそろおいとまを告げた時、隣にいた和田アキラさんが私のポケットにそっと何かを差し入れてくれました。
何だろうと思って取り出した瞬間、アキラさんがひとこと、「ライブで使っていたピックだよ」。
その瞬間、私の興奮と感激はMAXに達したのでした。

15年という時間を経て、和田アキラ、ひいてはPRISMとの新たな邂逅が始まった瞬間でした。

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