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hide人形

2010.12.31

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X-JAPANが大、大、大好きな妻と娘。
そんな娘から、今は亡きメンバーのひとりhide(ヒデ)を型取った、新発売のhide人形が欲しいとリクエストされました。

しかしここでひとつ問題が。
このhide人形、実はUFOキャッチャーの景品で、しかも全国で限られたゲームセンターでしか手に入らないのです。

娘に聞くと、この界隈では高速で30分ほど飛ばした佐久市のゲーセンにしかないとの事。
そこでまずそのゲーセンに問い合わせて、件の人形が登場する日にちを教えてもらいました。

そして迎えた当日、いざ娘と一緒に行こうとしたところ、あいにくその日も含めて娘は予定がびっしり。

さて、それでどうしたか。
お父さんがひとりで取ってきてくれてもいいんだよ、という言葉を受けて、飛ばしましたよ、仕事が一段落してからひとり高速を。
しかし、40過ぎたオヤジがひとりでUFOキャッチャーをやっている姿を想像するだけで、恥ずかしさと緊張で既に心臓はバクバクです。

加えて素朴な疑問。
そんなに人気のある機種が果たして空いているものなのかどうか?
行列ができていたらどうしよう?
私はギャルたちに混じって並ばなければならないのか?
様々な不安を抱きながら、ついにそのゲーセンに到着しました。

早速ピコピコとゲームの金属音のする場内に足を踏み入れると、あれ、以外に空いているぞ。
すぐさまUFOキャッチャーのある一角へ突進し、一台ずつ確認していくと・・・あった!ありました!
まさしくhide人形のUFOキャッチャーです。
しかも運のいいことに誰もいない。
チャーンス!

私はすぐさま両替機にダッシュし、5000円分の紙幣をすべて100円玉に両替してポケットに突っ込み、大慌てでゲーム機へ戻りました。

さあ、いざ出陣。
しかしまず、肝心のhide人形が予想外に小さくてびっくりです。
これをどうやってこの大きなアームで取ればいいのでしょう?

兎にも角にもトライ!
しかし案の定、アームの大きさと人形の小ささが釣り合わず、アームが人形をつかんだ先からポロリポロリと下に落ちてしまいます。

でも何度かやっているうちにコツが分かってきました。
このUFOキャッチャは一度で人形を吊り上げるのは不可能。
そうではなく、例えば猫が指先で人形を転がすがごとく、アームで少しずつ人形を移動させていき、最後に景品の出口に落とせばいいのだ。

そうと分かればあとはこっちのもの。
100円を投入して、片方のアームを人形の片隅に持っていき、アームが上がった拍子に人形を数センチずつ転がして、出口の落とし穴に向けて移動させていく、その繰り返しです。

それにしてもいい大人が、しかも仕事の作業着のまま100円玉を積み重ねてUFOキャッチャーに没頭している姿は、はたにはどう映っているのでしょうか?

そうこうしているうちに待望の瞬間がやって来ました。
地道に移動させていた人形が、ついにコロコロと音を立てて出口の落とし穴に落ちたのです!
実際に人形を手にした時の喜びといったら。
その感激たるや、ひとしおです。
娘よ、父は獲ったど~。

さあ戦果を手に帰ろうと、戦場となったゲーム機をいとおしむように覗いた瞬間・・・げげっ、もう一種類ある!
そう、何とコスチューム違いのhide人形が全部で2種類ある事に気がついたのです。

ここで帰っては男の名がすたる。
再度ポケットの中の100円玉を積み上げて、もう一度トライです。

でも今度は順調。
すっかりコツを掴んだ私は、何枚目かの100円玉で、無事もう一種類の人形も無事ゲットしたのでした。

こうなると現金なもので、誰かにこの戦果を自慢したくてたまらない。
私はビニール袋をもらうふりをして、お店のお姉さんに2体のhide人形をさり気なく見せびらかしました。
こんな親父が若者に負けじとこれを獲ったのだぞ。
お姉さんの「ああ、これ凄く人気があるんですよ」との言葉にすっかり気を良くした師走のひとときでした。

それにしても・・・よかった~、店内が空いていて!!

三遊亭鬼丸、上田凱旋

2010.11.25

このブログにもたびたび登場する上田出身の新真打、三遊亭鬼丸(きん歌改め)。
東京都内で50日にわたる真打披露興行を終え、このたび地元上田市のホールで凱旋公演を行いました。

http://www1.ocn.ne.jp/~kinka/profile.html

ちなみに東京での襲名披露興行には、私も出張に合わせて2度足を運びました。

1回目は上野鈴本演芸場で、この日が披露初日でした。
ネタは「錦の袈裟」。

初日という事もあってか、鬼丸は自分自身の立ち位置に少々戸惑っている様子で、何となく不完全燃焼に終わってしまった感のある高座でした。
余談ですが、私の左隣に落語通で知られる堀井憲一郎氏がメモを片手に座っていて、彼が鬼丸をどう評したのかも気になりました。

2回目の訪問はそれから1ヵ月後の池袋演芸場で、この日のネタは「御神酒(おみき)徳利」。
これは見事でした。
鬼丸の成長がしっかりと窺えました。
快活かつ朗々と噺す鬼丸のうしろに、確かに「御神酒徳利」の風景や人物が見えました。

そして今回の上田公演。
約500席の場内はびっしり満員で、鬼丸に寄せる期待の大きさが分かります。
入口では鬼丸のご両親や奥様がお客様をお出迎えしています。

そして開演。
師匠の円歌や兄弟子たちの高座が爆笑に包まれ、そして襲名披露の口上も無事終わり、いよいよ大トリで鬼丸の登場です。
ネタは「猿後家」。

裕福な商家の後家(未亡人)さんのたったひとつの悩み、それは顔が猿そっくりな事で、それゆえに「猿」に関する言葉は一切禁句。
このたびもうっかり植木屋が「サルスベリ」と言ってしまったばかりに出入り禁止となり、当の後家さんはショックで寝込む始末。
さあ、そこへ現れたのが雄弁で知られた源さん、番頭さんから頼まれて彼女の機嫌を直すべく乗り込むが・・・。

鬼丸迫真の、素晴らしい高座でした!
古典落語の面白さが鬼丸の語り口で更に増幅され、落語という芸の醍醐味を堪能致しました。

このあと埼玉でのもうひと公演をもって、長いようで短かった鬼丸の真打披露公演も一段落です。

さあ鬼丸師匠、いよいよこれからがスタートです。
これから先、鬼丸ならではの芸風をさらに確立するために、そしてひとりでも多くのファンを獲得するために、突っ走って下さい!

へぎそば初体験

2010.11.18

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公私ともどもお世話になっている方と新潟県の魚沼へ出掛けました。
用事が済んで時刻は正午過ぎ。
せっかくなので昼食はこの地方の名物「へぎそば」にしようと話し合って決めました。

実は私は「へぎそば」初体験。
「へぎそば」はつなぎに小麦粉でなく布海苔(ふのり)を使うこと、そしてそばを小さな束にして盛り付けること、その程度の知識しかありません。
そもそも「へぎ」とは何ぞや。
そばを盛り付ける木の器を「へぎ」というそうです。

さて、地元の方お薦めのお店へ着くと、さすがに行列が出来ています。
待つこと30分、ようやく順番が回ってきてテーブルにつきメニューに目を通したところ・・・。

<へぎそば>
・一人前
・二人前
・三人前
・四人前
・五人前
・十個盛り
・五個盛り

と書いてあります。
さて、どれを選んでいいのやら・・・。

そもそも私が住む信州上田は、ただでさえ蕎麦の量が多くて有名なところ。
ちなみに上田のとある繁盛店は、普通盛りが500g、中盛りが700g、大盛りが1kg!あります。

お店のお姉さんに聞いてみました。
「一人前で足りますか?」
「一人前は7個盛りになりますのでちょっと足りないかもしれません。「十個盛り」にしてみてはいかがでしょうか?あるいはまず一人前ご注文頂いて、足りなければ「五個盛り」を追加されるとか」

なるほど、そうやって選ぶんですね。

それではとお勧めに従って「へぎそば十個盛り」と「天ぷら盛り合わせ」を頼んで待つことしばし、注文の品がやって参りました。

それにしても器の大きいこと。
4人掛けのテーブルに2人で座ったのですが、蕎麦の器と天ぷらを乗せるともういっぱいです。

そして肝心の蕎麦はというと、写真のようにきれいに10個の小さな束にまとまって器に盛り付けられています。
そして驚いたのが薬味。
わさびとネギに加えてカラシが乗っています。
聞けばへぎそばの薬味はもともとカラシが本流で、わさびはあとから広まったとの事でした。

さっそくひと口。
信州蕎麦とはまったくの別物です。

一番の特徴は滑らかな舌触りと喉ごし。
とにかくするすると喉を通ります。
その感触は水の如し。
これがへぎそばの醍醐味でしょうか。

途中、薬味のカラシをつけて食べてみましたが、これはこれでオツな味わいです。
個人的には本わさびのふくよかな香りの方が好みですが、カラシをつけるのがへぎそばの食文化と思えば十分に堪能できました。

つるつる、するすると蕎麦が喉を通るうちに、あっという間に完食。
天ぷらも付けたので「十個盛り」はちょっと多かった感じです。
その証拠にこの日は夕方まで腹持ちして、全然お腹が空きませんでした。

この日はお酒は飲みませんでしたが、本来でしたら蕎麦は日本酒の最高の肴と思っている私。
次回はぜひ魚沼の地酒とともにへぎそばを味わいたい、そんな思いです。

サービスの本質とは?

2010.11.11

ホテルに泊まるのが好きです。
例えば出張の際は、エリアや利用時間に応じて何軒かのお気に入りのホテルを使い分けています。

今日はそんなお気に入りのホテルの、ちょっと残念だった話をします。

東京都中央区にあるRホテル。
館内の快適な施設やおいしい食事はもちろんですが、何よりも私はこのホテルのホスピタリティ溢れるサービスが大好きで、いつも利用できる機会を伺っています。

このホテルのサービスに関して思い起こすと、こんな事もありました。

夜遅くチェックインした時の事。
何気なく冷蔵庫を見ると、前の客が記入した飲み物のチェックシートがそのまま残っています。
すぐにフロントに電話をして事情を説明すると即座にお詫びがあり、しばらくして部屋のベルがなりました。
ドアを開けると、初老のスタッフがお皿いっぱいに乗ったフルーツのワゴンと共に立っています。

感激したのはそのワゴンフルーツではなく、立っていたのがその頃メディアでもたびたび登場していたホテルのN支配人だったからです。
しかもネームプレートにはフルネームだけ書かれていて「支配人」とは記されていません。
その瞬間、即座にこのホテルのサービスの「精神」を感じ取ったものでした。

さて、話は飛んで、今年の8月に宿泊した時の事です。

早朝にレストランへ足を運び、ここの大好きなバイキングに舌鼓を打っていると、レストランのマネージャーがスタッフを叱り飛ばしている声が聞こえてきます。
それも一度や二度ではなく、それこそコーヒーを飲み終わるまでずっとです。
しかも口調が「××しろ!」とか「何、××してるんだ!」とか聞くに絶えないもの。
およそRホテルの空間とは思えません。
そっとフロアの女性を呼び止め、マネージャーの名前を聞いて、あとで正式に苦情を申し伝えました。
ささやかな出来事とはいえ、これが最初のつまづきでした。

次に宿泊したのは10月の上旬。
この時は悲惨でした。

まず、到着してエントランスからチェックインカウンターに向かうまで、数多くのスタッフがいるのに誰一人として声を掛けてくれない、こんな事は初めてです。

いざチェックインカウンターの前に立っても、フロントの若い男性は声を掛けないどころかこちらに顔も向けない。
私も意地になって黙ったままそこにしばし立っていましたが、まるで自分が透明人間になったかのようです。

怒りがふつふつと沸いてきた頃、私の後方にあるコンシュルジュデスクの女性が私の存在に気が付いてくれ、ようやくフロントへ取り次いでくれたのですが、若いフロント係は一連の対応に苦情を言っても暖簾に腕押し、まるでロボットのようです。
手続きを終えて鍵を受け取りエレベーターに乗るまで、コンシュルジュの女性がお詫びかたがたアテンドしてくれたのが唯一の救いでした。

そして更に驚くことに、それから翌朝チェックアウトするまで、すれ違う多くのスタッフからはひと言の挨拶もなし。
それこそ何往復もロビーラウンジやフロントの前を通ったのですが、いつもでしたらスタッフとすれ違うたびに「こんばんは!」とか「おはようございます!」とか「いってらっしゃいませ!」とか掛けてもらう気持ちのよい挨拶が今回はひと言もありません。
目が合っても素通りです。
私も、いつもならばそれに対して必ず元気な挨拶を返すのですが、今回に限って言えば私はこれまた完全な透明人間状態です。

さすがにあきれて、部屋に備え付けのアンケートに率直な感想を記入し、チェックアウトの際も、このたびの宿泊にどれだけ失望したかを申し伝えました。
正直言って、もうこのホテルを使うのはこれっきりとも思いながらホテルを去ろうとしたその瞬間、ひとりのスタッフから声を掛けられました。

差し出された名刺を見ると、そこには「フロントレセプションマネージャー」の文字。
要はフロントの責任者です。
彼曰く、実はチェックインの時、他のお客様のお世話をしながら私への対応の一部始終を見ていた、そしてそれがどれだけ不誠実な対応であったか恥ずかしい思いでいっぱいだ、ついては深くお詫びしたい、そんな内容を述べられました。

このひと言でどれだけ救われたか、私は彼に再訪を約束し、次回は楽しみにしていますと伝えてホテルをあとにしました。
ちなみに後日、支配人名で丁重なお詫びの手紙も届きました。

が次回、その期待は裏切られました。

マネージャーとの約束を守ろうと、そしてどれだけホテルの対応が変わったかを楽しみにしながら、今月の上旬に再度Rホテルを予約しました。

このクラスのホテルであれば当然このたびの一連の出来事は私の履歴に残っているでしょうし、あえて間を置かず再訪した私の思いをマネージャーはじめスタッフはしっかり汲んでもらえるものと思っていました。

しかし私は甘かった。
到着からチェックインまでひと言も挨拶がないのは前回と同じ。
そして運の悪いことにチェックインを担当したのは前回のロボット君でした。

私が今回期待したのは、チェックインの際たったひと言「前回は失礼しました」という、そのお詫びの言葉でした。
それさえあれば満足でした。
「今回は挽回しますのでごゆっくりお過ごし下さい」、そんな言葉が掛けられることを楽しみにしていました。

しかしフロントの彼は、今回も能面のような顔でひと通りの手続きを済ませ、あっさりと私を客室へ送り出しました。
聞けば例のマネージャーは今日は休みを取っているとの事。

本音を言えば客室のグレードアップも少しは期待していました。
もし私が逆の立場だったらそうします。
しかし与えられたのはオーダー通りのシングルルーム。

さらに、客室に入ってすぐに頼んだ夕刊は、次の予定のため30分後に出発するまで結局届けられず。
しかも電話をしたら忘れ去られている始末・・・。
そしてこの日も結局、ロビーを右往左往しているスタッフからは挨拶の言葉ひとつ掛けられる事はありませんでした。

翌日は館内で朝食を取る気持ちも萎え、外での朝食を終えて、それでもと思ってフロントで問い合わせると、件のマネージャーは出社していました。

早速彼を呼び出し、しかし椅子ひとつ勧められずフロント前で立ったまま、私は今回の残念な思いをそのマネージャーにぶつけました。

私はこのホテルのホスピタリティ溢れるサービスが大好きだったのに、それは一体どこへ行ってしまったのか?
クレームを述べた客がすぐに戻ってきたのに、なぜ「前回は申し訳ありませんでした」のひと言がいえないのか?

このホテルが大好きだからこそ、今回このような思いの丈をぶつけた気持ちをマネージャーは汲んでくれたでしょうか。

部屋に入るとすぐにマネージャーから電話がありました。
「チェックアウト時間を延長させて頂きますのでごゆっくりお寛ぎ下さい」
この思いを最初から見せてくれていれば、今回の滞在は随分と違った気分になっていたはずです。

私は帰ってから、性懲りもなくまた次回の予約を入れました。
ネットのコメント欄にはマネージャー宛てのメッセージも残しました。
予約を入れてから一週間、しかし彼からの返信はまだ届いていません。

「まぁーず」料理が旬!

2010.10.26

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この10月1日から長野県内一斉に開催されている「信州デスティネーションキャンペーン(信州DC)」。

これはJRグループと長野県内の観光関係団体そして市町村がタイアップして、3ヶ月に渡って繰り広げられる大型観光キャンペーンです。
今日も長野県内のあちこちで「信州DC」に絡んだ様々なイベントが開かれています。

そんな中、今日ご紹介するのは「信州DC」の一環として開発された「まぁーず」料理。

知らない方は「まぁーず」って何だ?ってまず思われた事でしょう。
これは信州の方言で、「本当に」とか「とっても」という意味なんです。
「まぁーず、この料理はおいしいね」とか、「まぁーず、なにやってんだか、お前は」とか、そんな使い方をします。

この「まぁーず」料理を考案したのは長野県旅館組合青年部。
その青年部長が私の親友で、彼が「まぁーず」料理の陣頭指揮を執ったこともあって、私も思い入れが深いのです。

さて、その「まぁーず」料理、ポイントは長野県産の「味噌」と「酒粕」と「漬物」を使ったオリジナルのソースを使用すること。

それに準じた様々な料理をそれぞれの旅館が開発し、長野県内の旅館一軒一軒で違った「まぁーず」料理が味わえるのです。
私も試作品を試してみたのですが、これが本当においしい!

しかも前述の通り、材料のひとつは「酒粕」。
これは酒造業界にとっても大きなチャンスを頂いたと思っています。

聞くところによると、先日も池袋のサンシャインシティで開かれた長野県の物産展で、旅館組合青年部のブースで提供した何千食もの「まぁーず」料理が瞬く間に無くなってしまったそうです。

年内いっぱい開催されている「信州デスティネーションキャンペーン」、その期間中、訪れる旅館によってそれぞれ違った形で提供される「まぁーず」料理は今がまさに旬!です。

写真:「まぁーず」公式ガイドブックの表紙

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