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地震の余波

2011.03.16

まずは今回の震災で被害に遭われている方々に、心よりお見舞いを申し上げます。

また、東北に引き続いて長野でも震度6の地震が発生しましたが、私の住む上田市では幸いにも怪我や建物の損壊等は今のところ起きておりません。
皆が無事である事をご報告申し上げます。

さて、東北地震の被害がますます拡大する中、先日長野県で旅館を経営する友人と話をしました。

彼は地震が起きてすぐ、知り合いの大勢いる現地へ向けて自家用車に積めるだけの救援物資を積んで出掛け、そのあまりの惨状に言葉を失って帰ってきたそうですが、その余波は旅館業界にも及んでいるそうです。

彼曰く、長野県内の旅館のキャンセル率がかなりの数字に達していて、大げさではなく業界が存亡の危機に面しているとの事でした。

上記の例が示す通り、今回の地震は経済の負のスパイラルまでをも誘発しており、我々はより冷静な判断と行動を求められているのだと思います。

チェックインのひととき

2011.03.10

東京で泊まったホテルでのささやかな、けれどとても嬉しかった出来事です。

今回ご紹介するのは品川区のTPホテル。
このホテルは駅からは少し歩きますが、そのシックな佇(たたず)まいと、最近とみにレベルアップした心地よいサービスとに魅かれて、折に触れ利用する一軒です。

さて、このホテルの通常のチェックインは午後2時からですが、今回私が使ったプランは午後4時からのチェックインとなっていました。
しかしこの日は私の時間の調整が難しく、荷物だけでも置きたいと、無理を承知で午後2時過ぎにホテルに到着しました。

チェックインの際、フロントで私を出迎えてくれたのは「見習い」のネームプレートを付けた若い女性でした。
「見習い」なので不慣れかもと思った私は、あとでその思いを恥じる結果となります。

彼女に名前を告げ、まずは早く到着してしまった事を詫びました。
そして「チェックインの手続きだけして頂ければ、あとは館内のラウンジででも時間を潰しています」と伝えたところ、彼女は笑顔でこちらを見つめながらひとこと。
「お待ちください。お部屋の用意が出来ているか、すぐに確認致します」

待つことしばし、彼女は画面からその笑顔を上げざまに「和田様、お部屋の準備が出来ておりますのでお入り頂けます」。
その言葉がどれだけ暖かく感じたことか。

そしてたったこれだけの事でさえ出来ないホテルが最近多いのですよね。
意地悪くチェックインさせてもらえなかったり、あるいはチェックインさせたことを恩着せがましく言われたり。
しかし彼女はたった数分で、ひとりの宿泊客の心を掴んでしまったのです。

さて、今度は私がホテルに恩返しをする番です。
昼食を取り損ねていた私は、どこか外で食べようと思っていたランチを急遽ホテル内のレストランで取ることにしました。

早速レストランのあるロビーラウンジに降り、フロントの前を横切ると、先ほどチェックインをしてくれた彼女と目が合いました。
その瞬間、数メートル手前のこちらに届くような大きな声で「和田様、先ほどはありがとうございました!」と、これまた嬉しい言葉を掛けてくれました。

私も次のように返しました。
「先ほどはありがとうございました。本当に助かりました。せめてもの感謝の気持ちで、空いた時間で館内のレストランを使わせて頂きます」
向かった先のレストランでの暖かなサービスも併せて、この日のランチが大変心地良かったことは言うまでもありません。

さて、今度はチェックアウトの時の事です。

私を担当してくれたのは若い男性でしたが、隣のブースでは顔馴染みの女性スタッフが他のお客様の対応をしていました。
まずは向かいの男性に「ありがとうございました」と快適な滞在のお礼を述べると、隣の女性スタッフが目配せでお礼を返してくれるのが分かりました。
何だかそれだけで心躍りますよね。

手続きを待っている間、接客を終えたその女性も会話に加わり、しばし雑談に花が咲きます。
そして唐突に「昨夜はお嬢様のお誕生日だったんですね。おめでとうございます」とふたりから言われた時には、驚くと共に大変感激致しました。
実はこの話題は、昨日チェックインの際に「見習い」の彼女と交わした会話の中のものだったのです。

その嬉しさは、もちろん「おめでとう」と言われた事に対してもですが、それ以上に、昨日の女性からそのような細かな情報まできちんと引き継がれていた事に対してのものでした。

立ち去り際にフロントの男性から「またのお越しをお待ち申し上げております」と言われたのに対し、私はいつも以上の気持ちを込めて「ぜひまた伺わせて頂きます」と返答した、爽やかな朝のひとときでした。

お役所仕事

2011.02.04

先日、水道の移設の必要に迫られ、市役所水道局に電話した時のことです。

今の時代、電気・ガス・電話・インターネット等、移設の依頼は電話1本で、しかも極めて丁寧な応対ですぐに受け付けてくれます。
また、郵便局の住所変更届けも、わざわざ足を運ばなくても自宅からインターネットで申し込めるようになりました。

ですので水道の移設の申し込みも電話で簡単に済むと思っていましたが、これが大間違いでした。

「一度お越し頂かないと受け付けられません」
これが市役所水道課の電話口での答えでした。
思わず我が耳を疑ってしまいました。

そのあまりにも平然とした口調に疑問を抱いた私は、市役所までは車で5分ほどの距離であるにも関わらず、あえて次のように続けました。
「それでは土曜か日曜にお伺い致します」
「土曜・日曜は休みです」
「では平日の夜お伺い致します」
「平日は5時15分までの受付となります」
「・・・」

なるほど、つまりウイークデーに働いている人は来なくても結構、そうおっしゃるわけですね。
でも行政もサービスと言われて久しい昨今、なのにこの前時代的なサービスの在り方はちょっと信じられない思いです。

仕方なくその日の午後に水道局を訪れましたが、受付の対応も素っ気ないものでした。
少なくとも前述した電気・ガス・インターネット等の会社とは、ホスピタリティという意味で雲泥の差がありました。
水道の開栓手数料として1000円徴収されましたが、どうせならもっと気持ちよく払いたい、そんな思いにさえ刈られました。

別の日の市役所での出来事。

仕事上、毎月の酒税の申告を最近はインターネット回線すなわち「e-tax」で行うのですが、その際に必要な私の住民基本台帳カードの有効新期限が切れたので、更新のため市役所市民課を訪ねた時のことです。

無事手続きを終え、帰り際、担当の男性に「ありがとうございました」とお礼を言ったところ・・・返ってきた答えが、さらりと「ご苦労様でした」。

よ~く考えてみて下さい。
「ありがとう」に対して「ご苦労」のひとこと。
すごい「上から目線」ですよね。
そもそも「ご苦労様」は目上から目下にのみ使う言葉ということを市民課窓口の彼は知らなかったのでしょうか?

こんなさり気ない場面にも意識の差が垣間見られて、思わず「お役所仕事」という言葉が脳裏によぎった一瞬でありました。

新宮市 お燈まつり

2011.01.29

紀伊半島のほぼ先端に位置する和歌山県新宮市。
海と山とに囲まれた人口約3万のこの小さな街で、今年も2月6日に「お燈まつり」、別名「火まつり」が開催されます。

私が新宮市を知るきっかけとなったのは、現代文学の中でも最も好きな作家のひとり、中上健次(なかがみ・けんじ)がここ新宮出身だからです。

中上健次。
新宮の被差別部落に生まれ、複雑な家系のもとで育った中上は、46歳でその短い生涯を閉じるまで、一貫して「地と血への回帰」をテーマとした重厚な作品を次々に発表しました。

若い頃は羽田空港で肉体労働に従事する傍ら、もっぱら喫茶店の片隅で作品を書き上げ、そのスタイルを自ら「喫茶店文学」と呼びました。
その才能は、中上自身の家系を色濃く反映させた自然主義的小説「岬」で戦後生まれの作家として初めて芥川賞を、さらにはその続編「枯木灘」でも数々の賞を受賞してから一気に開化しました。

彼の初期の作品「十八歳、海へ」「十九歳の地図」「蛇淫」は映画化され(「蛇淫」の映画名は「青春の殺人者」)どれも高い評価を得、またそれに続く「火まつり」は中上本人がシナリオを書きました。

一方、新宿ゴールデン街を根城とする酒や喧嘩に明け暮れる破天荒な日々も、これまた中上のもう一方の姿でありました。

故郷新宮で毎年夏に「熊野大学」と名付けたセミナーを開講し、作家としてもいよいよこれからもう一皮向けようとした矢先、しかしガンのため中上は46歳の短い生涯を閉じました。

中上の作品に頻繁過ぎるほど登場し、彼のすべての作品の土台ともなっている新宮の街をぜひ見てみたいと、妻とふたりで2年続けて新宮市を訪れたのは10年ほど前の春でした。

初訪問の際は、事前にあれこれ電話で質問をした新宮市役所観光課の方が思いも掛けず新宮駅で待っていて下さり、大変驚くとともに大いに感激致しました。
その方の案内で、作品に登場する新宮の街々、中上健次記念館、中上健次の墓、そして「お燈まつり」の舞台でもある神倉山中腹に位置する神倉神社等々をじっくり時間を掛けて回ることができました。

そして翌年2月6日、「お燈まつり」当日に新宮を再び訪問しました。

そぼ降る雨の中、昼間から松明(たいまつ)を持った白装束の男たちが松明を打ち合いながら街を練り歩いています。
そして夕刻を告げる頃、彼らは次々に山の中腹にある神倉神社の境内を目指して、その急な石の階段(本当に凄まじいほどの急階段です)を登り始めます。

日が暮れると神倉神社では、二千人分の松明に次々に火が灯されます。
その日に限って一般客は入山が禁止されているので、山の中腹で煌煌と燃え上がる炎を麓から見上げる事になるのですが、その光景は圧巻です。

そして午後8時。
神倉神社の門が解き放たれると同時に、男たちがいっせいにその急な石段を松明を持ったまま駆け降りてきます。
勢い余って転倒する者、怪我をする者も続出で、これこそこの祭りが「男まつり」と呼ばれる所以です。
滞まることを知らない、駆け下りてくる男たちの群れと彼らが手にした松明の火に、この祭りの真髄を見る思いがするのです。

今年も一週間後の2月6日、お燈まつりが開かれます。
あの日観光課の方から贈られた新品の松明を眺めながら、当日は私も遥か彼方の新宮の地に、そして中上健次の魂に、思いを馳せる事になるでしょう。

メタルコーラ

2011.01.15

ファイル 204-1.jpg

写真のペットボトル、何だか分かりますか?
パッケージの人物から何となく想像はできると思いますが。

では答え。
昨年結成25周年を迎えたロックバンド「聖飢魔Ⅱ」、その全国ツアーを記念して造られた、その名も「メタルコーラ」なのです。
よく見ると写真中央にはデーモン小暮さん(現在「デーモン閣下」に改名)がいるのが分かります。
そしてラベルには「凶 炭酸地獄」の文字が(笑)。

この「メタルコーラ」、全国ツアーの静岡公演に合わせて地元で開発された商品で、静岡県内のコンビニとライブ当日の静岡市民文化会館のみで発売された限定商品です。

そう、何を隠そう、実は私は「聖飢魔Ⅱ」の大ファンなのです。
だってこのバンド、メチャクチャ巧いんだもの。

デーモン小暮さんの歌唱力はもちろんの事、バックを支えるメンバーのテクニック、その半端じゃないスゴさといったら!
いつ聴いても何度聴いても鳥肌モノの巧さです。
語弊を承知で言えば、聖飢魔Ⅱは「見た目で一番損をしているバンド」です。

そんな彼らもいつの間にか40代後半。
でも昨年秋のツアーでも、そんな年齢を微塵も感じさせないロック魂を炸裂させていました。

さて、そしてこのメタルコーラ。
静岡のライブに行った友人から友人の手を渡り、私の元にも届きました。
もったいなくてずっと取っておいたのですが、しばらく前、前の晩に散々飲んだ翌朝、目が覚めた瞬間あまりの喉の渇きに思わず「えいやっ」と蓋を開け、あっという間に一気飲みしてしまいました。

赤に近い朱色をしたその液体はプラムを思わせる不思議な味でしたが、そのジャンクな味わいを堪能致しました。
例えるとすれば、私が小学校の頃に発売されあっという間に終売となった「ファンタ ゴールデンアップル」に近い味とでもいいましょうか。

で、今そのボトルは事務所の私の机の上に大切に飾ってあります。

ちなみに事務所には他にも不思議なテイストの物がいくつか並んでいます。
その中にはTHE ALFEEの高見澤さんの誕生日を記念して配られた「Kaleidoscope」と銘打たれた赤ワインもあります。
よかったら見に来て下さい。

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