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火まつり

2013.02.09

毎年2月6日になると、紀伊半島の突端にある海と山とに囲まれた小さな街、和歌山県新宮市に思いを馳せます。

この日は新宮市の神倉神社で「お燈まつり」、別名「火まつり」が行なわれる日です。

中上健次生誕の地であり、今から20年前(もうそんなに経つのですね・・・)46歳の若さで中上がこの世を去るまで一貫して彼の小説のテーマであり続けた新宮の街。

上田から鉄道で7時間掛けて妻と共にこの「火まつり」を観に行ったのは、もう10年以上前になります。
それはただひたすらに、中上健次という小説家を少しでも近くに感じたいがための旅でもありました。

その日雨がそぼ降る新宮駅に到着すると、前年に新宮を初訪問した際に我々をナビゲートして下さった市役所観光課の男性が出迎えて下さり、驚くことに、そこには祭りに参加するための私用の白装束と松明(たいまつ)が用意されていたのでした。

心構えのなかった私は悩んだ末に丁重に参加をお断りしたのですが、それは神聖なまつりへの畏怖と、加えてよそ者の自分がそんな場所へ突然入る事へのためらいがあったからでした。

日の高いうちから街のあちこちで松明を打ち合う白装束の男たち(「上がり子(あがりこ)」と言います)は、日が暮れると一斉に神倉山の山頂にある神倉神社へ向かうための石段を次々と登って行きます。
ちなみに何百段もあるこの石段は、私も登ってみたのですが、目まいのするような急坂です。

午後8時、神倉神社の狭い境内にぎっしりと集まった2000人を越える上がり子は、門が開かれると同時に我れ先にと一斉に石段を駆け下り、それと同時に真っ暗な山の陰影には無数の松明の火が一直線に走って、その光景はひたすら神々しく幻想的です。

そして我々が見守る山の裾野へ息も絶え絶え辿り着いた上がり子たちは、中には転倒して怪我を負った者も少なくない中、誰もがまつりを無事完遂した満足感に満ちた笑顔で次々に新宮の街へと散っていくのでした。

この「火まつり」の様子は「YouTube」でも観られるでしょうし、柳町光男監督、中上健次脚本の映画「火まつり」のクライマックスシーンで観ることも出来ます。
この映画も私が何度も映画館へ足を運んだ大好きなフイルムの1本です。

ちなみにこの時用意して頂いた松明は、もちろん大切に自宅に保管してあります。

えっ、どうしてダメなの?

2013.02.02

唐突ですが、食事に関して皆に驚かれる事があります。

ひとつめ。
私は牡蠣が大好物です。
生牡蠣、焼き牡蠣、蒸し牡蠣、カキフライ・・・どれも大好きで、際限なく食べ続けることができます。

が、ご飯と一緒に食べることができないのです。

私にとって、牡蠣はあくまでも極上の酒の肴であって、例えばカキフライ定食などはもってのほか。
牡蠣はあの磯の香りこそが命と思っているのですが、そのフレッシュな生々しさとご飯とが合うとは思えないのです。
それを話すとみんな驚きますけどね。

逆に、肉厚でプリプリの牡蠣を、それぞれの産地を確かめながら日本酒と一緒に流し込む瞬間というのは、まさに至福のひとときです。

もうひとつは握り寿司。
当たり前ではありますが、これまた私の大好物です。

が、私にとってお寿司は酒と一緒に食べるもの。
言ってみればこれまた極上の酒の肴であって、お寿司単体では、食べられない事はありませんが、お寿司のおいしさが半減してしまうのです。

例えば回転寿司も、あそこは基本的に「飲む」場所ではありませんから私は滅多に行きません(酒肴とお酒が充実しているお店は別ですが)。
しかし子供たちの希望があったりして行く時は、私は店内では一切食べず、自分が食べる分だけ持ち帰りにして、帰宅後に酒と一緒に楽しむといった事が少なからずあります。

伊集院静のエッセイで、ふらりと立ち寄った寿司屋で「1人前をゆっくり握って下さい」と頼んでビール1本とお銚子3本を楽しんだ、なんていうくだりを読むと喉が鳴りますね。

そんな訳で、私が贔屓にしている地元の海鮮処では、今の時期だけ登場するカキフライ(ひと皿5個は多いのでいつも3個にしてもらいます)と、そのあと握ってもらう1人前の寿司を楽しみながら、熱燗を閉店までダラダラと楽しんでいます。

ちなみにいつかのように、帰り道で転倒して大流血し、血まみれの私を見て玄関で妻に悲鳴を上げられそのまま緊急医に運び込まれた、なんて事はもうしないようにいつも気を付けています。

「男たち、美しく」

2013.01.25

「男たち、美しく」

新宿歌舞伎町入口のビルの屋上から吊り下げられた、このキャッチコピーが書かれた垂れ幕を目にした瞬間、キャスティングの凄さと意外性に感極まり呆然と立ち尽くしたのは、浪人生だった19歳の時でした。

そこに写し出されていたのはデヴィッド・ボウイ、坂本龍一、ビートたけし、トム・コンティの4人の男たち、そしてその下には「戦場のメリークリスマス」とタイトルが掲げられていました。

折しもYMOがアルバム「テクノデリック」を最後にしばし活動を休止、しかし突如として自称「歌謡曲」路線に転向した「君に胸キュン。」を発表して、ファンの度肝を抜いた時期でもありました。

そして5月、指折り数えて映画の上映を待ち侘びた私が公開と同時に飛び込んだのは、今は無き渋谷駅前の「渋谷パンテオン」でした。
それから何回この映画を観に映画館へ足を運んだことか。
「ぴあ」でチェックしては都内の映画館を駆け回りました。

そしてその年の暮れ、YMOは「散開」。
この時のショックたるや筆舌に尽くし難く、ガックリと脱力した事を今でも覚えています。

翌年、坂本龍一がソロによる全国ツアーを開催。
その時、教授(坂本龍一の愛称)がYAMAHAと共同開発した世界初のMIDIピアノで演奏した「Merry Christmas Mr. Rawrence」を聴いて、ピアノにシンセサイザーの音源をインプットした、映画のサントラそのままの音の再現と演奏に、これまた凄まじい衝撃を受けました。

その足で楽器店に飛び込み、「戦場のメリークリスマス」のサントラ全曲をピアノ譜にした「Avec Piano」を購入、気持ちだけは坂本龍一とばかりに陰でこっそりと練習に励んだのでした。

そういえば当時「ビートたけしのオールナイトニッポン」で、ラロトンガ島でのロケの様子をたけし流に報告するのを聴きながら、次から次へと語られるエピソードに自室で爆笑していた事を懐かしく思い出します。

先週、大島渚が亡くなった翌日に、たまたま付けたWOWWOWで「戦場のメリークリスマス」が追悼放映されていたのを眺めながら、そんな思い出が次から次へと溢れてきて、こみ上げてくるものを押さえ切れませんでした。

大島監督、ありがとう。

器用さより誠実さ

2013.01.12

しばらく前に品川のグランドプリンスホテル高輪に泊まった時の出来事です。

チェックインの際、フロントで「本日は特別期間としてお部屋の冷蔵庫のドリンクが全てサービスとなっております」と、嬉しい言葉を頂きました。
心弾ませて部屋に入り、冷蔵庫を開けると・・・ん?空っぽ。
何も入っていません。

このホテルではしばらく前からドリンクの常備を取り止めており、いつもは冷蔵庫が空である事は知っていました。
ですので、これはフロントの勘違いとして受け流そうとしたのですが、どうも納得できません。

翌朝悩んだ末にオペレーターに電話を入れました。
出たのは、たどたどしい口調の若い男性でした。
「フロントに電話を回してください」
そんな私の依頼を、思いも掛けず彼はさえぎりました。
「もしよろしければ私にご用件をお話し頂けますか?」

正直、以外でした。
彼を単なるオペレーターと思い、しかもそのたどたどしい話し方から彼をサービスマンとして少し見下してしまった自分を、あとで私は大いに恥じる事になります。

それではと、私は事の顛末を彼に伝えました。
すると彼は「私がすぐにお調べ致しますのでしばらくお待ち頂けますか?」
そう言って電話を切りました。

再び電話が鳴ったのはわずか数分後の事でした。
彼はまず今回の不手際を詫びました。
その上で彼は続けました。
「お客様には間違いなく今回ドリンクのサービスが付いております。しかし清掃の者がドリンクを冷蔵庫に入れ忘れてしまったようなのです。これからすぐに冷蔵庫の補充に伺いたいのですがよろしいでしょうか?」

何より嬉しかったのは、彼の言葉ひとつひとつに間違いなく誠意とお詫びの気持ちが込められていた事です。

「事情は分かりました。全部のドリンクは要りません。今からミネラルウォーターだけ届けて頂けますか?」
そう伝えたあと、部屋のベルが鳴るのに時間は掛かりませんでした。

ドアを開けると、まだ初々しい黒服の男性がミネラルウォーターを持って立っています。
彼は丁重なお詫びとともに名刺を差し出したので見てみると「客室係」となっています。

「先ほど電話に出たのはあなたですか?」
「はい、私です」
「大変誠実で迅速な対応、ありがとうございました」

彼の気持ちに応えるために私も名刺を渡そうと彼を部屋に入るように言い、名刺を取って引き返すと、彼は靴を脱いで靴下姿でドアの内側に立っています。
これは客室係としての決まりなのでしょう。
しかしこのシチュエーションでは、そんな姿ひとつでさえも彼の誠実さの現われのような気がして、何だか心洗われる思いでした。

チェックアウトの際、もちろんこの一件はしっかりとフロントにも伝わっていました。
スタッフの女性が私の目を見てお詫びを述べるのを聞きながら、「クレームこそ最大のチャンス」という言葉を改めて思い返している自分がいました。
と同時に、上辺の器用さより、不器用でも誠実な姿勢こそが相手の心を動かす事を改めて実感した、そんな今回の出来事であり、客室係との出会いでした。

驚愕のスパゲッティ

2012.12.26

スパゲッティが好きです。
まあ、嫌いという方はそんんなにいらっしゃらないとは思いますが。
今日はそんなスパゲッティの楽しい(?)思い出です。

学生の頃、私が利用していた品川駅の近くにBというお店がありました。
メニューは全てスパゲッティ、価格は1,000円前後という、いわゆる街のちょっとオシャレなスパゲッティ屋でした。

その中の最も安いメニューとして、そのお店の名を冠した「Bスパゲッティ」というのがありました。
そして驚くことに、その1品だけが、何と「お代わり自由」!
学校からの帰宅途中に初めてそのお店に入った我々貧乏学生は、その文字に魅せられて、迷う事なく「Bスパゲッティ」を注文したのでした。

「Bスパゲッティ」、値段は確か780円だったと思います。
それでも当時の学生の懐具合からすれば高嶺の花の価格です。
はてさて、どんなスパゲッティが登場するだろう、そう胸をときめさせながら待っていた我々の前に現れたひと皿は・・・。

ソースも何もかかっていないただの麺。

しばし呆然・・・これは何かの冗談なのか。

いえいえ、決して冗談ではなかったのでした。
ソースなしの茹で麺を、隣に置かれた粉チーズとタバスコだけで食べなさい、これが「Bスパゲッティ」の正体だったのです。
これを食べ放題ったって、そんなに食べられるわけないし。

しかもこれで780円?
高いし。

仕方なく我々は、せめて元だけでも取ろうと心の中で泣きながら、粉チーズを大量に振りかけて、ほとんど味のない茹で麺に果敢に挑んだのでした。
それでもせいぜい3杯が限度でしたが。

ほどなくして我々は、ひとりが「Bスパゲッティ」を頼んで、もうひとりが普通のスパゲッティを頼み、そのソースを分けてもらうという裏技を覚えました(当時のスタッフの皆様、すみませんでした)。
また、ひとり何杯食べられるかという、「大食い選手権」の原点のような事にチャレンジしたりもしました。
何だかんだ言って、Bに結構通い詰める我々がいました。

でもそんなBもほどなくして姿を消しました。
お客様は結構入っていたと思ったのですが。

懐かしの「Bスパゲッティ」、今でも忘れられない思い出です。
それにしても、一体誰がどうやったらあんなメニューを考え付くのでしょう?

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