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凋落のサービス

2013.03.30

過日、とんぼ帰りで東京へ行った時の事です。

宿泊は、これまでもホスピタリティ溢れるサービスに惹かれて利用してきた、中央区のRPホテルを予約しました。
しかし今回、そんな心地よさへの期待はものの見事に裏切られる結果となりました。

始まりはチェックインでした。

ホテルに着いて、エントランスからチェックインカウンターまで歩く間、これまででしたらどのスタッフもが笑顔で迎えてくれた心地よい挨拶が、今回はひとりとしてありません。
ドアマンもベルマンもコンシュルジュさえも、隣を横切っても一切無言で無視を決め込んだまま。
ここで既にホテルに漂う冷たい空気を感じ取りました。

それに輪を掛けたのが、チェックインを担当した、覇気のない熟年の男性スタッフ。
それはいつもの心温まる笑顔での対応とは正反対の、まるでロボットのように淡々とした、寒々しいチェックインでした。

チェックインの最後に「何かございますか?」と問われたので、「有料でも構わないので、朝刊はいつもの朝日新聞に加えてスポニチを追加して下さい」と返すと「承知致しました。追加料金は要りません」、彼は確かにそう答えました。
しかしそれがあとで波紋を呼ぶ事となります。

キーを受け取り、いざ部屋へ向かうと、そこは私がこのホテルで最も嫌いな、フロアのコーナーをまるでパズルのように埋め込んだ狭いシングルルームでした。
ホテルメンバーであり、それなりの利用実績もある客をこの部屋に通すのか、ここまでの接客に落胆していた私は、そんな事さえ考えてしまいました。
私はすぐにフロントに電話をして、ルームチェンジを申し出ました。

空き部屋を調べると言って一旦電話を切ったスタッフから「空きがある」と回答があったのはそれからすぐでした。
すぐに「研修中」という名札を付けた若い女性がやって来て私を新しい部屋に案内してくれたのですが、彼女との初々しい会話と、そのあとターンダウンにやってきた客室係のおばちゃんとの会話が、この1泊で唯一暖かみを感じた瞬間であった事からも、今回の滞在の寒々しさを感じ取って頂けると思います。

新しい部屋に入って、早速次の予定に出掛ける準備に取り掛かった私は、洗面台にいつものハンドタオルが置いてない事に気が付きます。
すぐに客室係に電話をして「いつもならハンドタオルがあるはずですが」と問い合わせると、「間もなくターンダウンにお伺いしますのでその時にお持ち致します」との返事。
しかし待てども待てども客室係が来る気配はありません。

部屋のベルが鳴ったのは、それから45分後でした。
だとすれば、このクラスのホテルであれば、リクエストがあったハンドタオルだけでも先に届けるべきでした。
それでも部屋を整える人の良さそうなおばちゃんとの会話が、イライラし続けた私の心を解きほぐしてくれたのでした。

翌朝、目が覚めて新聞を取ろうとした私は、そこにいつもの朝日新聞はなく、追加を希望したスポニチだけが新聞受けに刺さっているのを見て唖然とします。

すぐさまフロントに電話をして「おはようございます」と挨拶をした私に対して、電話の向こうの若い男性スタッフから帰ってきた言葉はたったひとこと、「はい」でした。
もはやこのホテルはまともな挨拶すら出来ないのか、そんな失望感が広がります。

事情を説明し、これから朝食を取りにフロントの前を通るから、その時に従来の朝日新聞も渡してくれるよう頼み、数分後私は部屋を出ました。

フロントに立ち寄り、「先ほど新聞の件で・・・」と言った途端にカウンターの向こうから電話に出たらしき男性スタッフが飛んできて、新聞を手渡してくれました。
私は彼に、今後私の購読紙のリストに今回の「スポニチ」も加えておいてもらえないだろうか?と頼んだ瞬間、彼が発した言葉、それは「2紙目からは別途料金を頂戴致します」、そんな冷たいひと言でした。

確かに私はチェックインの時「別料金でも構わないから」とは言いました。
ただ、これは客とホテルとの「あ、うん」の呼吸です。
ましてやチェックインの時は、2紙目も無料と言われています。
正直、定宿で追加の新聞代を取ると言われたのは初めてです。
私は思わず「今日の分も払いますか?」と嫌味を口にしてしまったほどです。
しかし彼は動じることなく平然と「いえ、今日の分は結構です」と、これまた客の神経を逆撫でする言葉を返してくれたのでした。

チェックアウトの際も、いつもならしっかりと係から引き継がれているはずのお詫びも一切なく、ましてや「いつもありがとうございます」という言葉すらなく、淡々と手続きは進み、私はホテルをあとにしました。
このホテルで「また来ます」と言わずに出てきたのはいつ以来でしょう。
結局帰り際もエントランスまで、私に「いってらっしゃいませ」と言葉を掛けてくれたスタッフは皆無でした。

正直なところ、このホテルのサービスの凋落はしばらく前から耳に入っていました。
しかしここまでサービスが乾いているとは。
私がこのホテルを訪れる事は、これでもうしばらく無いかもしれません。

音楽あれこれ

2013.03.21

前回クラシックの話を書いたので、思い出話をもう少し。

学生時代、お金が無い中でよく通ったのは、サントリーホールの、それもP席でした。
サントリーホールはステージを客席が360度取り囲む、当時としては画期的なスタイルのホールでしたが、P席というのはその中でも最も安価な、要はステージの真後ろの席でした。

音響が悪いというデメリットはありましたが、しかし通常のコンサートでは観られない指揮者の表情を真正面から楽しめたり、P席の最前列はオーケストラのメンバーの頭に触れる事ができるほどの至近距離でしたのでメンバーの仕草やリアルタイムの楽譜が目の前で楽しめたりと、当時の私から見れば大変コストパフォーマンスに優れた席でした。

ところで当時から私の大好きなピアニストのひとりが、今は亡きクラウディオ・アラウでした。
そのアラウが晩年に来日公演を行なうという事で、喜び勇んで「チケットぴあ」に電話を掛けまくったものの、サントリーホールでのベートーベンの「皇帝」は全公演が瞬く間に完売。

がっかりしながらも、、彼が神奈川県民ホールで1回のみピアノソロのコンサートを行なう事を発見し、早速電話してみたところ、こちらはかろうじてチケットを取る事が出来ました。

でも驚いたのは当日です。
いざ会場に着いてみると、場内は何とガラガラ。
私は一番安い3階席に座ったのですが、演奏が始まっても客席は3分の1ほどしか埋まりませんでした。
私の周りも他の観客の姿はほとんどなし。
サントリーホールとのこのギャップは何なのでしょう?

しかしそんな中で演奏されたリストの「ダンテを読んで」、その素晴らしさといったら。
まさに「珠玉」という言葉が相応しい、圧倒的な迫力に満ちた名演でした。
最後にアラウが客席に向かって深々と頭を下げたあの姿は今も忘れません。
あまりの感動で、弾けもしないのに、そのあとすぐに分厚い楽譜を買ってしまったほどです。
結局最初の数小節で挫折しましたけど。

ガラガラといえば、学生当時たまたま日比谷公会堂の前を通り掛った時に開催されていた渡辺貞夫のライブ。
時間も空いていたし、いい機会だとその場でチケットを買って入ったら、中は空席だらけ。
ナベサダの名演を聴けば聴くほど、もったいないと心の中で叫んでいる自分がいました。

最近ではしばらく前に軽井沢大賀ホールで開かれた、大・大・大好きな矢野顕子のコンサート。
彼女の素晴らしさを娘にも伝えたくてふたりで行ったのですが、こちらも客席の半分以上が空席で、もったいない!のひとこと。
でもそんな中でいつもと変わらず歌って弾いてそして喋るアッコちゃんは相変わらずチャーミングで、娘とふたりハッピーな気持ちで会場をあとにしました。
それにしても彼女の「ROSE GARDEN」はいつ聴いても凄いなぁ。

魂の音楽

2013.03.13

苦しかったり悩んだりして仕方がない時、ついつい「本物」に救いを求めてしまいます。
クラシック音楽もそのひとつです。

しばらく前、NHK教育の「ららら♪クラシック」で小林研一郎が登場していて、思わず画面に釘付けになりました。
20代の頃、彼の演奏会にどれだけ足を運んだことか。
チャイコフスキー5番、ベルリオーズ「幻想交響曲」、マーラー2番「復活」、オルフ「カルミナ・プラーナ」・・・あの頃の胸の高鳴りは今も忘れません。

魂の音楽といえば、フォーレの「レクイエム」が大好きです。
中でもクリュイタンス指揮、パリ音楽院管弦楽団のフォーレは珠玉です。
フィッシャー・ディスカウのソロ、透明感溢れる崇高な合唱、その「祈り」に満ち溢れた演奏にどれだけ涙したか計り知りません。

私はそれほどクラシックに精通している訳ではありませんが、学生時代から馴れ親しんだバッハやヘンデルを聴くと、今も変わらず心癒され、そして多くの元気と勇気とをもらいます。

近代フランス音楽も好きです。
中でもラヴェルの「ダフニスとクロエ」は、聴くたびにその幻想的な世界に浸り切っている自分がいます。
ちなみに坂本龍一は、自らの音楽をラヴェルやドビュッシーらの影響を受けているとはっきり語っており、YMO「散開」後の「メディアバーン・ライブ」のピアノソロで最初に演奏された曲はサティの「ジムノペディ第1番」でした。

私が小学生の時、初めて自分のお金で買ったクラシックのアルバムは今もはっきり覚えています。
中村紘子、海野義男、堤剛によるチャイコフスキーピアノ三重奏曲「偉大なる芸術家の思い出」。
実は同じメンバーで同じ曲目のコンサートが上田市民会館で開かれるに当たって、予習のために買った1枚でした。
すり切れるほど聴いたこの作品も、今なお変わらず私の魂の1曲となっています。

そして今、心待ちにしているのが、間もなく東京で開催される、当ブログでもおなじみの神田将さんのコンサートです。

この欄で何度も申し上げているように、現代エレクトーンは我々が以前結婚式などで聴いていたエレクトーンとは全くの別物。
まさに「ひとりオーケストラ」の名に相応しい、例えばオーケストラのシンフォニーをたったひとりで表現してしまうような、ダイナミックさと繊細さとを兼ね備えた最新鋭の楽器なのです。
そして神田将さんのストイックで全身全霊を傾けた演奏は、エレクトーンという楽器に余すことなく魂を吹き込み、そして同時に、我々の心をも激しく揺さ振るのです。

お詫び

2013.03.13

すみません。
パソコンの不調で3月に更新した2回分のブログが飛んでしまいました。
気を取り直してまた少しずつアップしていきますので、これからもお読み頂ければ幸いです。

何はともあれご報告とお詫びまで。

ラジオを聴いていたら。

2013.02.14

しばらく前に車を運転しながら地元の民放ラジオを聴いていた時のことです。

その日臨時の男性パーソナリティMさんと熟練の女性パーソナリティKさんとが会話をしていて、たまたま結婚披露宴の話題になりました。

Mさんは仕事上、相当数の披露宴の司会をこなしているらしく、その回数に触れた時に彼は思わず「〇〇本」と、「本」という単位を口走ってしまったんですね。
しかも一度ではなく何度も。

確かにMさんにしてみれば披露宴の司会はあくまでも仕事の一環で、だからこそ回数は「本」で数えるものなのかもしれません。
でも公共の場でそれを言ったらアウトですよね。

もし実際に彼に司会をしてもらった当人たちがこの発言を聞いたとすれば、Mさんの愛情のなさに、大きな失望感を感じるのではないでしょうか。

少なくとも私は彼のこのデリカシーのないひと言を聴いて、それまでの彼のイメージが大きく崩れ去りました。
たったひと言の言葉遣いで、彼の人間性が垣間見えた気がしました。

ちなみに相方の女性パーソナリティはこの発言に敏感に反応して、直後に「・・本って(言い方はないでしょう?)」とさり気なくフォローしていましたが、彼は全く気が付く気配がありませんでした。

良きにつけ悪しきにつけ、言葉は時にその人の隠された本心を現してしまうもの。
結局は日頃からの心の持ち様が大切ということでしょうか。

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