記事一覧

hide MUSEUM

2013.07.04

ファイル 354-1.jpgファイル 354-2.jpg

写真上:横須賀の「hide MUSEUM」のチケットとパンフレット
写真下:hideのショップで限定で売られたケーキ「サイコベアー」と「イエローハート」(もちろん買ってきました)


今は亡きhideが生まれ育った横須賀で2000年~2005年まで開館していた「hide MUSEUM」が、場所を変えてダイバーシティで1ヶ月限定でオープンしています。
行きたくて行きたくて、考えるだけで胸が高鳴る自分がいます。

hideが大好きでした。
彼の歌も、ライブでのパフォーマンスも、そして生き方も、ひとりのロックミュージシャンとして、そしてひとりの男性として憧れていました。

そしてそんな彼の死を新聞で知った15年前の5月2日の朝の、あの時のショックは今も忘れません。

横須賀の「hide MUSEUM」には2度行きました。

特に2度目の、雨のそぼ降る3月に行った時は、天候もたたってか館内はガラガラ。
ライブハウスも兼ねる館内のレストランのテーブルにたったひとりの客としてポツンと座った私は、目の前のスクリーンに流れる「ROCKET DIVE」はじめ数々の名曲のメイキング映像を眺めながら、周りに客がいないことを幸いに、辺りはばかることなく大粒の涙を流し続けたのでした。

以前このブログでも書きましたが、私や妻の影響を受けてhideの大ファンとなった娘とともに(リアルタイムのhideを見せてあげたかった・・・)三浦霊園までhideのお墓参りに行った際、お墓掃除に訪れた中年の女性からもらったワインレッド色のhideのタオル、実はそのタオルはhideのお母さんだけが持っているものだと翌日知って驚愕したものでした。

そして妻や娘は今でもhideの追悼ライブやX-JAPAPNのライブに駆けつけたり(次はいつになるのでしょうか?)、また私も新宿や原宿を訪ねた際にはついついhideのLEMONed SHOPを覗いたりと、今もなおhideを追い掛け続けています。
hideは今も心の中にいます。

深夜のバスマット

2013.06.27

先日東京出張の折、品川のグランドプリンスホテル高輪に泊まりました。
ここ数年サービスの上昇著しい大好きなホテルのひとつです。

夜は親しいお店でしこたま飲んで、ホテルに戻ってきたのは深夜12時過ぎ。
そのままシャワーを浴びて、さて上がろうかという時にふと目に留まったのが足元のバスマット。
未使用なのに、クリーニングしても落ちなかったのでしょう、大きなシミが広範囲に付いています。

いくらクリーニング済みとはいえそこには足を乗せる気にならず、仕方なくタオルで足を拭いて、ちょっと悩んだ末にルーム係に電話をしました。
悩んだというのは、翌朝は早々にチェックアウトするため、ここでバスマットを交換してもらっても結局は使わないかもしれないし、ならば黙っていても良いのではという思いが働いたからです。

でも、近年のこのホテルの優れたホスピタリティに甘えて、あえて電話をし事情を話したところ、すぐに係の男性が交換に訪れてくれました。

驚いたのは翌朝のチェックアウトの時です。
カウンターに向かいフロントの女性とあいさつを交わした時、うしろから声を掛けられたのは馴染みのマネージャーでした。
彼はまっすぐに私の目を見て、「昨夜はバスマットの件で失礼があって申し訳ありませんでした」と真っ先にお詫びを述べました。

その言葉に感激したのももちろんですが、数時間前の深夜の出来事がしっかりとフロントにまで伝わっていたその姿勢に心打たれました。
しかも彼は前々回宿泊した時の小さなミスにも触れ、「重ね重ね本当に申し訳ございません」と再度深々と頭を下げてくれたのです。

思わず私は「今回のバスマットの件は仕方がない事ですし、大切なのはそのミスをどうフォローされるかだと思いますので、今回のご対応は大変感動致しました」と伝えました。

その後もチェックアウトが終わるまでマネージャーは後ろで待機していて、最後まで私を見送って下さいました。
私もいつも以上の思いを込めて「またお伺いします」と声を掛けホテルをあとにした、心地よい朝のひとときでした。

「テアトル東京」の思い出

2013.06.20

今、上田のTOHOシネマズで「エイリアン」と「エイリアン2」のデジタル・リマスター版が上映されています。
観に行きたくて仕方がないのですが、夜1回だけの上映という事もあって、なかなか時間が取れません。

そんな大好きな「エイリアン」を初めて観たのは中学生の時でした。
観た映画館は、東京京橋の今はなき「テアトル東京」。
親友とふたりで、映画をハシゴするためだけにわざわざ東京まで出向いた時のお目当ての1本でした。

「テアトル東京」といえば知る人ぞ知る「シネラマ」の聖地でした。
3台の映写機から同時に、湾曲した超特大のスクリーンに映し出される映像のその立体感たるやすごく、「エイリアン」でも70mmフイルムから流れるその圧倒的な迫力にひたすら興奮したあの瞬間は今でも忘れません。

テアトル東京といえば、映画館に指定席を導入した先駆けでもありました。
当時の映画館の入場料は確か大人が1300円、そしてテアトル東京の指定席はS席が2500円、A席が2200円と、かなり高かった事を記憶しています。

ただし抜け技がありました。
初回の上映だけは指定席も全席自由席として開放されたのです。

その時座ったS席に当たる2階の最前列は、椅子に上品なブルーのカバーが掛かっており、しかも驚くことにリクライニングまで利いて、何ともいえない優越感に浸ったものです。

ちなみに「スターウォーズ」を初めて観たのもこの「テアトル東京」でした。
観たくて観たくて、でもここで観ようと我慢してようやくたどり着いた「テアトル東京」。
ここまで来た努力は身を結び、上映中ひたすら狂喜乱舞したあの2時間は、私も後に「スターウォーズ」フリークの一員となる第一歩となったのでした。

そういえば初めて「テアトル東京」に足を運んだ時、その時は「世界が燃えつきる日」というSF映画を観たのですが(超駄作でした)、本編の前にニュースが上映されて驚いたものです。
あとから聞いたら、このニュース上映が当時の「テアトル東京」の名物のひとつとの事でした。

ちなみに、ここでパンフレットを買うと表紙に「テアトル東京」の文字が入っており、これらのパンフレットは今も大切にしまってあります。

そんなテアトル東京も、私が高校生の時、マイケル・チミノ監督「天国の門」で多くの映画ファンに惜しまれながらその歴史に幕を閉じました。

今あえてシネラマを再開したら受けると思うんですけど。
どこかがやってくれないかなぁ。

9点の答案

2013.05.22

高校時代は今でも印象に残る個性的な先生が数多くいましたが、政治経済のT先生もそのひとりです。

授業という枠での「政治経済」を越えて、いわゆるナマの「政治経済」の見方を教えてくれていたのだと、今となってはよく分かります。

ある時は政治経済関連の100冊の本が印刷された紙を配って、「この本をすべて買いなさい。100冊買えばもしかしたら1冊読むかもしれないが、買わなければ1冊すら読むことはない」、この教えは今でも私の心の拠りどころになっていて、買うか買わないか迷った本は片っ端から買うことにしています。
なので書架は本で溢れているのですが・・・。

そのT先生が定期試験で出した問題。
「新聞の読み方を書け。」

その時の試験は、何とたったこの1問、そしてたったこれだけの文章でした。

正解は、客観的に書かれていると思い込んでいる新聞にも実は各紙にイデオロギーがあり偏向性がある。
であるから、それをしっかりと踏まえた上で読む事こそ肝要である。

書き方はどうあれ、それに近い内容が書かれていれば合格点がもらえました。

それを、問題の意味を履き違えて、私のように必死に優等生のフリをして、「新聞は社説から読みます。そのあと経済面・社会面を読んで、チラッとスポーツ面にも目を通して、テレビ欄はあまり読みませんが時々参考にします」などという、バレバレの嘘を書いたりすると・・・。
今でも忘れません。
返ってきた答案用紙には100点満点中「9点」の数字が光っていました。

でもこの設問から学んだ教えも、その瞬間から脈々と自分の中で息づいてきた事が、社会に出てから理解できました。

余談ですが、大学生の時の中国語の試験で、これまたさっぱり問題が解けず、苦し紛れに「四面楚歌。援軍不来。我敗退也。」と書き込んで、あわよくばこのウイットに点数をくれるのではないかと期待していた答案に書き込まれていたのは、「ご愁傷さまです」という教授のたったひとことでした。

有名人遭遇

2013.05.08

東京の学校に通う娘から、今日凄い人だかりで、誰がいるのかと思ったらトム・クルーズだったとの電話がありました。
そういえば今朝のテレビでトム・クルーズが映画の宣伝で来日しているニュースを思い出しました。
私にとってのトム・クルーズは何と言っても「トップガン」なのですが(古い?)、娘にはどう映ったのでしょう?

私が偶然遭遇した有名人でとにかく感激したのは、新宿の紀伊国屋書店でのレナード・ニモイ。
「スタートレック」でミスタースポックを演じたあの人です。
ちなみに「刑事コロンボ」では「溶ける糸」で犯人役の医者を演じています。
あの時はジャンケンで勝った数名がサインをもらえるという事で私も参加したら、何と勝ち抜け!
「スタートレック」の本にサインをしてもらいながら、今ミスター・スポックが目の前にいると思った瞬間、感動と興奮で目が眩みました。

続いては妻の話になりますが、夜の東京駅でのこと。
上田へ帰る新幹線に乗ろうとしたら、妻が大ファンの中島みゆきそっくりの女性がマネージャーらしき女性と一緒にホームを歩いていたそうです。
勇気を出して「中島みゆきさんですか?」と尋ねたら連れの女性が瞬時に「違います!」と答えたらしく、語るに落ちるというのはまさにこの事。
妻曰く「絶対に本人に間違いない」という彼女は東北新幹線に乗り込んだそうで、HPを調べたら翌日は仙台でコンサート。
ビンゴ!ですよね。

笑えるところでは、かなり前ですが、上田市民体育館へ新日本プロレスを観に行った時の出来事。
トイレで私が用を足していると、いきなり隣にニューっと立って用を足し始めたのが何と藤波辰巳。
しかも藤波さんは試合直前とあって例の黒いトランクス姿のまま。
圧倒されて思わず出るものも止まっちゃいました。

そして忘れられないのは、聖飢魔Ⅱのライブのあと、妻と一緒にデーモン閣下に会わせて頂いたひととき。
3人だけの個室で緊張しまくる私。
かろうじて今日のライブの話や相撲の話(笑)で間を持たせるも、心臓はバクバク。
そんな空気を察してか、デーモン閣下が「一緒に写真を撮ろう。カメラは持ってる?」と気を利かせて下さったのですが、あいにくカメラは持ち合わせていません。
そんな時、当時CMに出ていた閣下に向かっていきなり妻がひとこと。
「『写ルンです』は持っていらっしゃらないのですか?」

ページ移動