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イエローハート

2013.07.22

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数回前にhideを取り上げましたが、今日はhideの話題でもうひとつ。

私が日頃から肌身離さず持っているものがあります。
それが写真のhideのZIPPOのライターです。

煙草は数年前から止めています。
でもこのライターはまだ私が煙草を吸っていた頃、娘がライブのお土産に買ってきてくれた大切な一品なのです。
煙草を吸わなくなった今でもカバンの片隅に入れて持ち歩いています。

ちなみにそのライブとは、hideの命日に味の素スタジアムで開催された「hide memorial summit」。
娘が初めてX-JAPANをナマで観たライブでもありました。

この日は出演した10バンドのトリの前にLUNA ESA、そしてトリがX-JAPANという、普段だったらあり得ない豪華絢爛なラインナップ。
そして待ちに待ったX-JPAPAN登場の際には、定番のインストゥルメンタル「Amethyst」が鳴り響いた瞬間、娘と、そして同行した妻はあまりの感動で腰が抜けそうになったそうです。

さらにアンコールの「X」では、T.M.Revolutionはじめ参加したほぼすべてのアーティストがステージに再登場し数小節ごとにボーカルを担当、そしてLUNA SEAの真矢がドラムを叩きYOSHKIがギターを弾くというサプライズの連続。
WOWWOWでの放映を録画した私も、何度も何度も、文字通りDVDに穴が空くほど観直しては感動する毎回でした。

ちなみにZIPPOに描かれたhideのトレードマークでもある「イエローハート」のデザイン、いろいろな飲み屋のお姉さんにも見せたのですが、見た瞬間に「hideだ!」と分かってくれたのはこれまでにたったひとりだけでした(笑)。
そんなもんですかね?

上田祇園祭

2013.07.15

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上田市の夏の風物詩のひとつ、上田祇園祭が開催されました。

夕方から夜にかけて、上田駅前から中央商店街へ通じる一帯は、樽神輿と宮神輿が入り混じった数多くの神輿と、数万人を数える沿道の見物客とで、夏の暑さと相まってボルテージも一気にヒートアップ。

ちなみに私の自治会では、今年も弊社の樽で神輿を上げて頂きました。
写真は、自治会館を出発し、会場となる中央商店街へと神輿が向かうところです。

今年もいよいよ夏が始まります。

hide MUSEUM

2013.07.04

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写真上:横須賀の「hide MUSEUM」のチケットとパンフレット
写真下:hideのショップで限定で売られたケーキ「サイコベアー」と「イエローハート」(もちろん買ってきました)


今は亡きhideが生まれ育った横須賀で2000年~2005年まで開館していた「hide MUSEUM」が、場所を変えてダイバーシティで1ヶ月限定でオープンしています。
行きたくて行きたくて、考えるだけで胸が高鳴る自分がいます。

hideが大好きでした。
彼の歌も、ライブでのパフォーマンスも、そして生き方も、ひとりのロックミュージシャンとして、そしてひとりの男性として憧れていました。

そしてそんな彼の死を新聞で知った15年前の5月2日の朝の、あの時のショックは今も忘れません。

横須賀の「hide MUSEUM」には2度行きました。

特に2度目の、雨のそぼ降る3月に行った時は、天候もたたってか館内はガラガラ。
ライブハウスも兼ねる館内のレストランのテーブルにたったひとりの客としてポツンと座った私は、目の前のスクリーンに流れる「ROCKET DIVE」はじめ数々の名曲のメイキング映像を眺めながら、周りに客がいないことを幸いに、辺りはばかることなく大粒の涙を流し続けたのでした。

以前このブログでも書きましたが、私や妻の影響を受けてhideの大ファンとなった娘とともに(リアルタイムのhideを見せてあげたかった・・・)三浦霊園までhideのお墓参りに行った際、お墓掃除に訪れた中年の女性からもらったワインレッド色のhideのタオル、実はそのタオルはhideのお母さんだけが持っているものだと翌日知って驚愕したものでした。

そして妻や娘は今でもhideの追悼ライブやX-JAPAPNのライブに駆けつけたり(次はいつになるのでしょうか?)、また私も新宿や原宿を訪ねた際にはついついhideのLEMONed SHOPを覗いたりと、今もなおhideを追い掛け続けています。
hideは今も心の中にいます。

深夜のバスマット

2013.06.27

先日東京出張の折、品川のグランドプリンスホテル高輪に泊まりました。
ここ数年サービスの上昇著しい大好きなホテルのひとつです。

夜は親しいお店でしこたま飲んで、ホテルに戻ってきたのは深夜12時過ぎ。
そのままシャワーを浴びて、さて上がろうかという時にふと目に留まったのが足元のバスマット。
未使用なのに、クリーニングしても落ちなかったのでしょう、大きなシミが広範囲に付いています。

いくらクリーニング済みとはいえそこには足を乗せる気にならず、仕方なくタオルで足を拭いて、ちょっと悩んだ末にルーム係に電話をしました。
悩んだというのは、翌朝は早々にチェックアウトするため、ここでバスマットを交換してもらっても結局は使わないかもしれないし、ならば黙っていても良いのではという思いが働いたからです。

でも、近年のこのホテルの優れたホスピタリティに甘えて、あえて電話をし事情を話したところ、すぐに係の男性が交換に訪れてくれました。

驚いたのは翌朝のチェックアウトの時です。
カウンターに向かいフロントの女性とあいさつを交わした時、うしろから声を掛けられたのは馴染みのマネージャーでした。
彼はまっすぐに私の目を見て、「昨夜はバスマットの件で失礼があって申し訳ありませんでした」と真っ先にお詫びを述べました。

その言葉に感激したのももちろんですが、数時間前の深夜の出来事がしっかりとフロントにまで伝わっていたその姿勢に心打たれました。
しかも彼は前々回宿泊した時の小さなミスにも触れ、「重ね重ね本当に申し訳ございません」と再度深々と頭を下げてくれたのです。

思わず私は「今回のバスマットの件は仕方がない事ですし、大切なのはそのミスをどうフォローされるかだと思いますので、今回のご対応は大変感動致しました」と伝えました。

その後もチェックアウトが終わるまでマネージャーは後ろで待機していて、最後まで私を見送って下さいました。
私もいつも以上の思いを込めて「またお伺いします」と声を掛けホテルをあとにした、心地よい朝のひとときでした。

「テアトル東京」の思い出

2013.06.20

今、上田のTOHOシネマズで「エイリアン」と「エイリアン2」のデジタル・リマスター版が上映されています。
観に行きたくて仕方がないのですが、夜1回だけの上映という事もあって、なかなか時間が取れません。

そんな大好きな「エイリアン」を初めて観たのは中学生の時でした。
観た映画館は、東京京橋の今はなき「テアトル東京」。
親友とふたりで、映画をハシゴするためだけにわざわざ東京まで出向いた時のお目当ての1本でした。

「テアトル東京」といえば知る人ぞ知る「シネラマ」の聖地でした。
3台の映写機から同時に、湾曲した超特大のスクリーンに映し出される映像のその立体感たるやすごく、「エイリアン」でも70mmフイルムから流れるその圧倒的な迫力にひたすら興奮したあの瞬間は今でも忘れません。

テアトル東京といえば、映画館に指定席を導入した先駆けでもありました。
当時の映画館の入場料は確か大人が1300円、そしてテアトル東京の指定席はS席が2500円、A席が2200円と、かなり高かった事を記憶しています。

ただし抜け技がありました。
初回の上映だけは指定席も全席自由席として開放されたのです。

その時座ったS席に当たる2階の最前列は、椅子に上品なブルーのカバーが掛かっており、しかも驚くことにリクライニングまで利いて、何ともいえない優越感に浸ったものです。

ちなみに「スターウォーズ」を初めて観たのもこの「テアトル東京」でした。
観たくて観たくて、でもここで観ようと我慢してようやくたどり着いた「テアトル東京」。
ここまで来た努力は身を結び、上映中ひたすら狂喜乱舞したあの2時間は、私も後に「スターウォーズ」フリークの一員となる第一歩となったのでした。

そういえば初めて「テアトル東京」に足を運んだ時、その時は「世界が燃えつきる日」というSF映画を観たのですが(超駄作でした)、本編の前にニュースが上映されて驚いたものです。
あとから聞いたら、このニュース上映が当時の「テアトル東京」の名物のひとつとの事でした。

ちなみに、ここでパンフレットを買うと表紙に「テアトル東京」の文字が入っており、これらのパンフレットは今も大切にしまってあります。

そんなテアトル東京も、私が高校生の時、マイケル・チミノ監督「天国の門」で多くの映画ファンに惜しまれながらその歴史に幕を閉じました。

今あえてシネラマを再開したら受けると思うんですけど。
どこかがやってくれないかなぁ。

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