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立川流の名著

2013.12.12

先日、自宅で酒を飲みながらふと思い立ち、2冊の本を書架から引っ張り出して、一気に再読しました。

立川談春「赤めだか」。
立川談慶「大事なことはすべて立川談志に教わった」。

どちらも著者が立川談志に入門してから真打になるまでを描いた自伝です。
そしてどちらも笑いと涙、そして師匠へのあたたかさと愛情に満ちた名著です。

この2冊の本で改めて実感させられるのは、人生回り道というのは決して無駄ではないという事、そして長い人生の中で「報恩」という思いがどれだけ大切であるかという事です。
一見破天荒でありながら実は人一倍の繊細さを持ち合わせた立川談志と、そこにしがみつきもがきつつ、不器用ながら二つ目・真打へと上り詰めていく談春・談慶。
この2冊、私は読んでいて涙が止まらなくなりました。

私自身、酒に逃げたくなる夜というのは正直あります。
しかしこれらの本を読んでいると、回り道や不器用さに真正面から立ち向かい、そして克服していく過程が、やがては一流と呼ばれる道へと繋がる事を再確認させられ、励まされるのです。

そしてもうひとつ実感するのは、ああ、落語が聞きてえ・・・。

「ジャズと爆弾」

2013.11.24

所要で近所のショッピングモールを訪れた際、ついでに同じモール内にある書店を覗いてみました。
そして日本文学のコーナーで思わず目を引いたのが、村上龍「限りなく透明に近いブルー」のハードカバー版でした。

村上龍のデビュー作であり、若干24歳で芥川賞を受賞した本作、今は講談社文庫でしかお目に掛かれないと思っていましたが、こんな小さな書店の片隅にハードカバー版がひっそりと置かれている事に驚きました。
あるいは新装版として再発売されたのでしょうか。

私が本書を読んだのは高校生の時でした。
「限りなく透明に近いブルー」という魅惑的なタイトルとともに、その衝撃的な内容と文体の虜となり、「海の向こうで戦争が始まる」そして「コインロッカーベイビーズ」を立て続けに読破。

続いて村上龍の名前に惹かれて買ったのが、私の文学感を一変させたといっても良い一冊、中上健次との対談集「ジャズと爆弾」(旧題「俺たちの舟は、動かぬ霧の中を、纜(ともずな)を解いて、-。」)でした。

その知的好奇心溢れる内容に挽かれ、高校時代、それこそボロボロになるまで本書を読み耽りました。
そしてそれが、私が最も敬愛する作家のひとり、中上健次との出会いでもありました。

セリーヌ、ジャン・ジュネ、コクトー、マルキ・ド・サド、サルトル・・・本書の対談の中で登場する、ふたりが傾倒した作家は私もすべて読み込まねば、そう思って、書店で彼らの名前を見つけた時は片っ端から買い漁りました。
私が通った大学の図書館で「セリーヌ全集」全巻を発見した時は身震いするような感動に包まれたものでした。

本書の中で、村上龍がクライマックスの「限りなく透明に近いブルーだ。」、この一文を書くためだけに、どれだけの試行錯誤と執筆中での我慢を積み重ねたかを熱く語り、そして中上健次も「俺も『限りなく透明に近いブルー』な夜明けの空を見たことあるよ」と同意し、しかしそれは安寧な生き方をしていては見ることのできない光景なのだと同調するシーンでは、文学者、表現者としてのカッコよさにシビれまくったのを今でも覚えています。

その後ふたりは文学者としてははっきりと違った方向性を歩んでいきましたが、その原点としての対談集「ジャズと爆弾」は、今でも私にとって掛け値なしに珠玉の一冊です。
ハードカバー「限りなく透明に近いブルー」の背表紙を眺めながら、そんな事に思いを馳せた書店での夜でした。

ありがとうございました。

2013.11.16

父が急逝して早2週間が経ちました。

本当に突然の死でした。
悲しみや驚きに浸る間もなく、次から次へと父の旅立ちの準備に追われる日々が始まりました。

通夜や告別式の準備をしながらも仕事は待ってくれず、怒涛のような毎日を過ごして参りましたが、その間、多くの皆様が私たちを支えて下さいました。

人はこのような悲しみの真っ只中にある時、周囲の方々のご厚意がどれだけありがたいものかを、今回改めて身に染みて実感することができました。

告別式は予定をはるかに上回り3時間に及び、ご来訪頂いた皆様には多大なご迷惑をお掛け致した事と思います。
しかし、上田市内はもとより市外・県外からご参列頂いた大勢の皆様が、父のためにわざわざお時間を作って駆け付けて下さった、そのお気持ちが本当にありがたく、おひとりおひとりにもっともっとお礼を述べたい思いでいっぱいでした。

そして訃報を知った父や私の多くの友人が「何でもするから言ってくれ」と掛けてくれたその言葉がどれだけ励みになったか、計り知れません。
お言葉に甘えて電話をすると間髪を入れず出てくれる、その事からだけでも友人たちのあたたかな思いが感じ取れて、涙の出る思いでした。

今回父を見送って下さった皆様、そして我々家族を支えて下さった皆様、心から、本当に心から御礼申し上げます。

私ももう少ししたら元気になります。
そして父の意志を継いで、これまで以上に頑張る所存です。
ぜひこれからも変わらぬお付き合い、そしてお力添えをよろしくお願い致します。

ご報告

2013.11.09

弊社代表取締役会長でもある父が急逝致しました。
父が生前お世話になった皆様、改めて心より御礼申し上げます。
本当にありがとうございました。

私を含め、残された者でこれからも精一杯頑張って参りますので、これからもお力添えのほど、よろしくお願い致します。

映画や映画館のこと

2013.11.01

先日、久々に大好きな「ゴッドファーザー」のDVDを観ました。
何度観ても掛け値なしの傑作です。

初めて観たのは大学生の時、東京の名画座の早稲田松竹で「ゴッドファーザー」「ゴッドファーザーPART2」という、今思えばあまりに贅沢であまりにヘビーな2本立てが上映された際でした。
合計で約6時間半。
でも観終わった瞬間、衝撃で吹っ飛びましたね。

それからすぐにマリオ・プーゾォの原作を買って読んで、これまたあまりの面白さに狂喜乱舞。

ちなみに我が家には、映画の「ゴッドファーザー」シリーズがDVDで3セット、原作本も上下巻で3セットあります。
保存版・もひとつ保存版・そして普段観る(読む)版です。
原作の文庫本は食卓に常備されていて、酒を飲みながら飽きることなく読み返しています。

そういえば先日、上映時間が長かった映画の話題になりました。

私が今まで観た中で一番長かったのは学生時代に観たベルイマンの「ファニーとアレクサンドル」。
5時間11分。
岩波ホールで、1日1回の上映でした。
だから入場料も高かった。
普通の映画の入場料が1,500円だった時に、確か2,500円だったかな?

傑作として名高い本作ですが、当時まだ人生経験の浅かった私には少し早すぎた映画でした。
上映中、決して飽きることはありませんでしたが、では本作の凄さは?ベルイマンの凄さは?と問われると答えられない自分がいました。
あれから30年経った今観たら印象がかなり違うはずでしょうね。

もう1本、上映時間が長かった映画といえば、これはもう誰もが知っている「十戒」。
中学生の時、地元上田の小さな映画館でリバイバルとして観ました。
ガラガラでした。

オープニング、まずはスクリーンの中に司会者が出てきて映画の説明を始めたのにビックリ。
そして「途中休憩があります。それではどうぞごゆっくりご覧下さい」的なナレーションが入って始まった本編は、冒頭からクライマックスの海が割れるシーンまで、今でも全編はっきりと脳裏に焼き付いています。

上田の映画館といえば、今思えば凄い映画館がありました。
何が凄かったって、当時は2本立て、3本立てが当たり前だったのですが、途中休憩が一切入らないのです。
そしてこの映画館にはロビーがありませんでした。
チケットを買って入口の小さなドアを開けると、そこがもう場内なのです。
なのでその日の朝一番に入らなければ、あとはいつ入場しても必ず前の映画のラストを観ざるを得ないか、あるいは次の映画の冒頭を見損なうか、どちらかなのです。
しかも平気でエンドクレジットを途中で切ってしまったり、映画とスクリーンのサイズが合っていなかったりと、やりたい放題の映画館でした。

でもそういう映画館で観た映画でも(そういう映画館だからこそ?)、心に残っている作品はたくさんあります。
「コンボイ」「カサンドラクロス」「ロッキー2」「合衆国最後の日」・・・どの作品も私にとっては今も心から離れない傑作ばかりです。

そういえば小学生の時、この映画館で「エスパイ」と山口百恵の「伊豆の踊り子」の2本立てを観に行ったら、次の上映作品の「エマニエル夫人」の割引券をもらって、シルビア・クリステルが上半身裸で足を組んだあの隠微なポーズに、大人への自我の芽生えを覚えたものでした。
でも普通、小学生に「エマニエル夫人」の割引券、配るか?

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