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落語の愉楽

2015.01.24

たった今、事務所で仕事をしていると、旧知の落語家三遊亭鬼丸が顔を出しました。
明日、故郷上田市で開かれる初めての独演会を前に、わざわざ挨拶に来てくれたのでした。
ちなみにチケットは完売。
もちろん私も行く予定です。

落語が好きです。

初めての寄席体験は学生時代。
サークルの仲間たちと何とはなしに足を運んだ新宿末広亭で、寄席の魅力と、そしてトリを努めた今は亡き古今亭志ん朝の高座にぶっ飛んだのでした。

東京で仕事の合間に時間が空くと、束の間の休息を兼ねて上野の鈴本演芸場に足を運ぶことがあります。
寄席は好きな時間に入って出られるのがまず嬉しい。
そして出演者によって当たりはずれが大きいのも寄席の魅力です。
誰とはいいませんが、親子2代の大御所の名前に惹かれて入ったら大はずれだった事もあります。
ちなみに色物では、林家正楽の紙切りや、あしたひろし順子の漫才なんかは個人的に当たりです。

東京の社員旅行で、当社の「新酒を味わう会」に2年続けてゲストでお越し頂いた金原亭馬生を聴きに鈴本演芸場に入ったら、偶然楽屋から出てきた師匠にバッタリ。
全員分の手ぬぐいを頂戴したのはラッキーでした。

最近では、あとは上田に帰るだけという夜の東京で、贔屓にしている立川談慶のホームページを調べたら、すぐそばの上野広小路亭で師匠がトリを努めていることが分かって駆けつけ、十八番の「井戸の茶碗」を堪能させて頂いてから最終の新幹線に飛び乗りました。

3月には上田で完成したばかりの新しい市民会館「サントミューゼ」で、「立川志の輔・談春・談慶兄弟会」という、凄まじいといえば凄まじい落語会があります。
よくぞこの顔ぶれが集まったものです。
上田出身談慶師匠のお人柄でしょうか。

フィッシュ アンド チップス

2014.12.12

元外交官にして文筆家の佐藤優が滅法面白いです。

その圧倒的な筆力と、同志社大学神学部大学院卒という経歴からも来るインテリジェンス溢れる文章は、鈴木宗男事件で自ら逮捕された顛末を描いたデビュー作「国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて」から今日まで、一貫して変わることはありません。

そんな佐藤優の最近文庫化された「紳士協定-私のイギリス物語―」、こちらも一気読みの面白さでした。

著者が外務省に入省して2年目に英語とロシア語の研修で訪れたイギリスで、ホームステイ先の少年との交流を描いたドキュメンタリーです。

いつも通り知的好奇心に溢れる内容に加えて、この作品のもうひとつの魅力は随所に登場するロシア料理やイギリス料理の描写です。
レストランやホームステイ先での食事の事細かな描写は、まさに行間から匂いや味が飛び出してくるようで、空腹の時は要注意です(笑)。

現に私はこの作品を読んだあと、イギリスの名物「フィッシュ アンド チップス」がどうしても食べたくなって、この料理を出すお店に飛び込んでしまったほどです。

カラリと揚がった魚の白身とポテトのフライ。
これをいつもならタルタルソースで食すのですが、この日は作品に書かれた通りに、別添えのモルトビネガーをたっぷりとかけて、熱々をガブリ。
タマりません。
結局この日は「フィッシュ アンド チップス」ひと皿で満足してお店を出てしまいました。

次なる目標は、やはり作中に登場するイギリス名物「キドニー(腎臓)パイ」。
内臓料理好きの私としてはぜひチャレンジしたい料理です。
ただし普通だったらアンモニア抜きをするキドニーも、イギリスではそんな手間暇はかけずに調理するので筆者はアンモニア臭くて食べられないと嘆いていました。
どなたか、これを食べられるお店、知りませんか?

ハンディカメラの正体

2014.12.05

上田駅から郊外の別所温泉駅まで、田園地帯を縫ってコトコトと30分ほどかけて走る上田電鉄別所線というローカル線があります。

今から10年以上前の事。

その日私は、当時はまだ小さかったふたりの子どもを連れて散歩がてら別所線に乗り、何となく気分で、途中の下之郷というやや大きめの駅に降り立ちました。

何をするともなく子どもたちとホームのベンチでたたずんでいると、片手に収まる小さなビデオカメラを持った若い男女が近付いてきて、おもむろに質問してきました。

「地元の方ですか?」
「何をしているのですか?」
「この辺でおすすめの場所ってありますか?」
「こちらの名物の食べ物はなんですか?」

延々と質問は続きます。
観光客かと思い、ひとつひとつ丁寧に答える私。

ひとしきり質問を終えると、若い男女は「ありがとうございます」と言ってその場を立ち去ろうとします。
「観光ですか?」と聞く私に、質問をした女性がひとこと。
「所ジョージの『ダーツの旅』です」。

放映の日、ビデオをセットして画面に食いつく私と家族。
しかし無常にも私や子どもたちは1秒も映ることなく、私のあとでインタビューされた、やたら面白いオバちゃんのみがクローズアップされていました。

あんな小さなビデオカメラじゃ、まさかテレビのロケとは思わないもんなぁ。
分かってたらもっと面白い回答を捻り出したのに。
後悔してもあとの祭り。

先日テレビをつけたら「ダーツの旅 総集編」を放映していて、ふとそんな出来事を懐かしく思い出したひとときでした。

ミラノ座閉館

2014.11.29

新宿歌舞伎町の映画館、ミラノ座がこの12月で閉館します。

1,000席強という東京最大のキャパを誇るミラノ座。
シネコンにはない映画館独特の「匂い」、目の前に広がるスクリーンの圧倒的な迫力、広~いロビー・・・大好きでした。

併設されている新宿東急、名画座ミラノ、シネマスクウェアとうきゅう(名称はいずれも当時)も含めて、学生時代によく通いました。

ミラノ座で思い出に残る映画といえば「E.T」「ブレードランナー」「ラストエンペラー」あたりでしょうか。

当時、日本で歴代興行収入1位を誇った「E.T」は、それこそ噴水広場まで延々と続く長蛇の列で毎回「満員札止め」。
お金がなかった私が「地獄の黙示録」とともに唯一指定席を買って観た映画でした。
当時の指定席料金は確か2,500円でした。

一方、ガラガラのミラノ座で観た「ブレードランナー」。
目眩を覚えるような近未来映像、そしてハリソン・フォードとルトガー・ハウアーの主役2人のカッコよさに魅せられた「ブレードランナー」が、まさかここまでSF映画の金字塔になるとは。

そして満席の中で観た「ラストエンペラー」。
坂本龍一の音楽と演技を目当てに入ったはずが、ベルトリッチが描く壮大なストーリーと映像にノックアウトされておりました。

変わったところでは、ミラノ座の地下にある新宿東急。
ここで正月に「食人族」という映画を上映していて、内容はタイトルからも分かる通り、ドキュメンタリーもどきのグロいカルト映画なのですが、当時は大ヒット。
私も宣伝に釣られて足を運んでしまったのですが、いやはや、これがひどい作品でした。
残虐な内容で、途中退席する観客が続出して、映画が終了する頃には満席の館内が半分ほどになっていたのには笑えました。

一方、ミラノ座の上の名画座ミラノは当時は確か1本500円くらいで観られる、文字通り「名画座」で、貧乏学生としては大変重宝致しました。

ところで今は名画座、本当に少なくなりましたね。

「サウンド・オブ・ミュージック」に上映期間中ほぼ連日通い詰めた三鷹オスカー。
「ゴッド・スピード・ユー」「十九歳の地図」「さらば愛しき大地」の柳町光男3本立を上映してくれた自由が丘の武蔵野推理劇場。
名画座の殿堂、池袋文芸座。ここで思い出に残るのは「マッドマックス」「マッドマックス2」の2本立てです。
もう一度観たかった「ミッドナイトエクスプレス」に涙で顔をぐしゃぐしゃにした三軒茶屋シネマ。
「地球に落ちて来た男」に衝撃を受けた大塚名画座。
そしてそれ以上に、「ゴッドファーザー」「ゴッドファーザーPART2」の2本立で椅子に叩きつけられるほど打ちのめされた早稲田松竹、今も健在です。
当時は「ぴあ」片手に、都内の名画座を回ったものでした。

ところで同じ歌舞伎町噴水広場前にあった新宿オデヲン座。
ここのウイキペディアに、唐突に私が乗っていてビックリ。
抜粋します。

長野県上田市に本社を置く酒造メーカー「和田龍酒造」の社長を務める和田澄夫[8]は、大学在学中の1984年(昭和59年)7月14日に公開した『愛情物語』(監督角川春樹)と『メイン・テーマ』(監督森田芳光)の2本立てをグランドオデヲン座で観たという[9]。

9.^ 和田澄夫 (2014年4月22日). “オールナイト上映”. ほろ酔い社長の雑記帳. 和田龍酒造. 2014年8月4日閲覧。

だそうです。
確かにこれは、このブログに書いた内容です。
でもアップしたの、一体だれ?

X-JAPAN @ 横浜アリーナ

2014.11.01

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1ヶ月前ですが・・・「X-JAPAN@横浜アリーナ」に妻と行って参りました。

発売開始1秒で売り切れたこのライブ、チケットは娘からのプレゼントでした。
常日頃は私がチケットを取って妻と娘が観に行く「X-JAPAN」、私にとっては初参戦でした。

そして待ちに待った当日のライブ。
とにかく素晴らしかった、そのひとことに尽きます。

セットリストも音響も、5人のメンバーの姿も、そして今は亡きHIDEやTAIJIへのオマージュも含めて、パーフェクトな3時間半でした。

2度目のアンコールでいつもの「ENDLESS RAIN」が演奏され、客席の大合唱とともに終演となると思ったその瞬間、SUGIZOのバイオリン・ソロのあとにYOSHIKIがピアノで弾き始めたのは・・・何とあの「ART OF LIFE」。

30分の大曲で、私にとってはX-JAPANベストの1曲。
この日演奏されたのはその後半のみでしたが、ひたすら官能的でハードな旋律とプレイに、私は興奮と感激とでただただ立ち尽くすのみでした。

カーテンコールで、YOSHIKIとTOSHIが延々と子供のようにじゃれあって微笑み合う姿は、これまでの2人の思いを知るファンにとっては涙溢れる光景であったことでしょう。

「X-JAPAN」が再び世界を目指し、そして大きな転換期となったこのライブに立ち会えた幸運に、心震えた一夜でした。

その10日後、彼らはニューヨークのマディソン・スクウェア・ガーデンでライブを行い、アジア人アーティストとして初めて同会場を満員の観客で埋め尽くしました。

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