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最近のおすすめ

2017.03.11

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最近感動した本を何点か。

まずは漫画から。

卯月妙子「人間仮免中 つづき」。

数年前に発売された「人間仮免中」の続編ですが、これは凄い。

若い頃にはカルトAVにも出演して一躍有名になった筆者が、精神の病と闘いながらも、何十歳も年上の彼氏ボビーさんと日々を懸命に過ごす姿を、極めて明るいタッチで描いた自伝です。

特に、筆者が発作的に歩道橋から飛び降りて九死に一生を得てから(前作「人間仮免中」掲載)、ボビーさんの存在の大きさと生きる喜びとを実感するシーンは、涙なしには読めません。
漫画というジャンルを越えたノンフィクションの傑作です。

続いて蛭子能収「地獄に落ちた教師ども」。
35年ぶりに再販された、今をときめく蛭子さんの処女作です。

私が蛭子能収の存在を知ったのは今から35年前の浪人時代でした。
定期購読していた漫画評論誌「ぱふ」で、蛭子さんは「ガロ」系漫画家としてたびたび登場していて、本書を読んで大いに衝撃を受けたのでした。

当時は、こんなグロでシュールな作品を描いている蛭子能収とは一体どんな奴なんだと思っていたのですが、まさかあんなにいい人だとは(笑)。
先日ビレ・バンに並んでいるのを見つめて即買いでした。

もう一点は新書から、橋本崇載「棋士の一分」。

橋本崇載は将棋界のトップクラスに君臨する若手棋士です。

片や、NHKの放映ではいきなり金髪パーマで登場して度肝を抜いたり、歌舞伎町の片隅で将棋バーを開いたりと、話題に事欠かない名物棋士でもあります。

そんな彼が、ぬるま湯に浸かりきっているプロ将棋界を一刀両断に切り捨てたのが本書です。

何より凄いのは、閉鎖的なプロ将棋界の内幕や、そこに携わった棋士のエピソードを躊躇することなく描写していることです。
そしてそこには、今プロ将棋界が変わらなければ未来はなく、棋界の存続のためならば自分は喜んで捨て駒になるという強い覚悟が伝わってきます。

棋士の新書というと明らかに口述筆記と思われる軽い読み物が多い中、本書は筆者の魂がこもった迫力の一冊です。

マッカラン ビフォーアフター

2017.01.22

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私が一番好きなスコッチウイスキーを挙げるとすれば、シングルモルトの名品「マッカラン」です。

上田のクラシックバー「Dejavu」で、この「マッカラン」を頼んだ時のこと。
目の前に「マッカラン18年」のラベル違いの2本のボトルが並びました。

オーナーの藤極さんは2本のうち見慣れた左側のボトルをストレートで注ぎながら、「マッカランは1986年を境にラベルも味も変わってしまったんです」と説明を始めました。

マッカランはシェリー樽の不足により、一番樽の使用比率を1986年以降変えざるを得ず、それを機にラベルだけでなく味わいも変わったとの事でした。

私に出されたのは1986年以前にビン詰めされたオールド・マッカランでした。
華やかで優雅で深い味わいで、うーん、これぞマッカラン。

ふと思い立ち、もう1本のニュー・マッカランも出してもらうことに。
比較してみると・・・驚きました。
私がずっと飲んできたマッカランとは香りも味わいも全然違います。

それでもしばらくグラスを回しながら液体を空気に触れさせていると、あのマッカランの香りがしっかりと感じられてきたのには感動しましたが。

個人的には1986年以前のオールド・マッカランが好みですが、どちらもあの偉大なマッカランである事に変わりはありません。
どんなお酒にも物語があり、それを知ると1杯の味わいがより深くなります。

成人式

2017.01.10

息子が成人式を迎えました。

上の長女ともども家族揃ってお酒を飲みに行けるようになったことを嬉しく思います。

ちなみに私は20歳の時、成人式に出席しませんでした。
なぜならその時、私は浪人中の身・・・。
寒風吹きすさぶ新宿の街を歩きながら、振袖姿の同い年の女性が眩しく見えたあの日の光景が今も鮮明に思い出されます。

寂しさを紛らわそうと新宿三丁目の映画館で観たのが、よりによって「ザ・デイ・アフター」。
当時話題になった、米ソ対立による核兵器の使用を描いたシリアスなドラマです。
映画館を出た時は一層落ち込む自分がいました。

その反動からか大学に受かってからは飲みまくりましたが、自省も込めて成人を迎えた皆さんにひとこと言いたいのは「若いうちからたまにはいいお酒を飲め」ということ。

うまい酒を飲めば一流の何たるかが分かります。
お酒はただ酔うためだけでなく味わうためにあることも理解できます。
まあお酒に限らずどの世界も一緒なんですけどね。

将棋界の衝撃

2016.12.27

プロ将棋ファンの私にとって今年のトップニュースは、何といっても「将棋ソフト不正疑惑」でした。

佐藤天彦の初名人奪取も、羽生喜治のタイトル戦連覇も、この事件の前ではいとも簡単に吹っ飛ぶほどの衝撃でした。

今やプロ棋士の頭脳を凌駕していると言ってもよい「将棋ソフト」。
その「将棋ソフト」をトップ棋士である三浦宏行九段が、対局中にたびたび離席しては、不正に使用(盗み見)していたとされるものです。
この疑惑で三浦九段は年内の出場停止処分も受けています。

この件に関して最も精度が高かったメディアは「週間文春」でした。
告発に関わった棋士名や発言内容、そして経緯に至るまで、よくぞここまで深く調べ尽くしたものだと感心しました。

これをきっかけにプロの対局では、対局中の外出禁止、タイトル戦での身体検査等、厳しいチェックが設けられるようになりました。

そしてこのたび、第三者委員会による調査結果が発表され、「三浦九段による不正行為の証拠はない」との結論が出されました。
はっきり言ってしまえば「疑わしきは罰せず」といった判定なのでしょう。
無難な着地点に収まったという違和感はどうしても残ります。

年が明けて三浦九段が対局室に戻ってきた時は、大きなニュースとして取り上げられることでしょう。
あとは三浦九段がこの重圧を跳ね返して、どれだけ素晴らしい棋譜を残せるか、汚名返上の手段はこれに尽きると思います。

羽生喜治が史上初の7大タイトル制覇を成し遂げた時、その牙城を真っ先に崩したのは、「棋聖」位を奪い取った三浦弘行その人でした。

あの時の輝きを取り戻して、ぜひ将棋界にもうひと旋風を吹かしてもらいたいものです。

悲しみを乗り越えて

2016.11.08

先週末は弔事が重なりました。

まず土曜日は大宮で、約20年前に亡くなった大親友を偲ぶ会でした。

当日は80歳を過ぎてますますお元気なお父様が参加され、30歳も若い我々と共に飲んで歌って(お父様はバリトンのソロリサイタルも開かれたセミプロです)語り合った半日でした。

親友が亡くなったあとも、あえて悲しみを表に出さずに、いつも笑顔で我々と接して下さる素晴らしいお父様です。
そのお父様が、親友の思い出話になると思わず涙が溢れ出るその姿を見て、我々が彼を決して忘れないことこそが何よりの供養だと改めて噛み締めたのでした。

翌日の日曜日は地元上田で、私が公私ともどもお世話になっている方のお父様のご葬儀でした。

私は朝からお手伝いで駐車場係。

3年前、私の父が急逝した際には、多忙を極めるこの方が「和田のためなら何だってやるからな」と涙が出るお言葉を頂き、事実父の葬儀まではこの方に電話をするとワンコールで出て下さり、当日は母と私のたっての願いで直会(なおらい・葬儀のあとの会食)の司会を快諾して頂いたのでした。

今回この方から直々にお手伝いの依頼の電話があった時、思わず「ご恩返しをさせてください」と叫んでおりました。

ご葬儀はご家族のお父様への愛にあふれた素晴らしい式でした。

近しい方のご逝去は本当に悲しい出来事ですが、何が大切か、何が必要か、そして欠かせぬ存在とは何なのか、いろいろなことを考え直させてくれる機会でもあります。

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