しばらく前に妻と一緒に初めて訪れたレストラン。
午後7時を回った店内は8割近くの入りで、心地よい喧騒に包まれていました。
我々もメニューをじっくりと眺めながら、秋の食材をふんだんに使ったコースと、シャンパン(「ペリエ・ジュエ」)をボトルで頼みました。
最初の驚きは、若いソムリエがシャンパン用のフルートグラスではなくボルドーの赤ワイン用の丸型グラスを持ってきたこと。
「このシャンパンは時間の経過とともに素晴らしい香りと味わいが立ってきます。それを存分に味わって頂こうと思いまして、よろしかったらこちらのグラスでお召し上がりになりませんか?」
我々が喜んで彼の提案に乗ったのは言うまでもありません。
さて、食事も進み、店内もちらほらとお客様が帰り始めた頃、妻があることに気が付きました。
我々のテーブルだけ、他のどのテーブルにも飾ってある花とキャンドルがないのです。
たぶん予約を入れたのが30分前だったので、急に誂(あつら)えた席だったのでしょう。
たったそれだけの事と言われればそれまでですが、いざ気が付いてしまうと、我々のテーブルだけが殺風景に見えてきて仕方ありません。
妻は「そんな小さな事、わざわざ言わなくていいから」と止めますが、私はシャンパンにボルドーグラスを勧めてくれたソムリエのホスピタリティを信じて、あえて指摘してみる事にしました。
「気を悪くされないで聞いてください。我々のテーブルだけ花とキャンドルがないのです。これはちょっと寂しい気がします」
それに気が付いた時のソムリエの驚き。
彼のお詫びの言葉が決して表面上でない事は、その姿勢から十分に伝わってきました。
その後もソムリエやサービスの皆さんと楽しい会話を交わしながら食事も一段落し、最後の客となった我々が席を立とうとした時です。
そのソムリエが1本のワインのボトルを抱えてきました。
「これは私からです。私がお気に入りのオーストラリアのスパークリングです。せっかくなのでフルートグラスとボルドーグラス、両方のグラスでお楽しみください」
そう言って、妻と私にグラス違いで2杯ずつ、ワインを注いでくれたのです。
たぶんいろいろな意味があったのでしょう。
もちろん花とキャンドルのお詫び。
それ以外にも、初訪問の我々が料理に大いに感動したこと。
お酒の話をはじめ、いろいろな話題で彼と随分と盛り上がったこと。
いずれにしても、初めての客に対して彼が注いでくれたそのスパークリングは、私と妻の心を射止めるには十分過ぎる1杯でした。
決して出過ぎず出しゃばらず、しかし確実に心のこもった彼のさり気ないサービスで、我々は再訪を期したのでした。