弊社も所属する「法人会」、その関東信越法人会青年部のセミナーが長野市内のホテルで開催され、参加して参りました。
メインの講演会の講師は星野仙一氏。
半年以上前から決まっていたとはいえ、今まさに話題の人物の登場とあって、会場は立錐の余地もない程の聴衆で埋め尽くされました。
開口一番「きのう、WBCの監督、決まったねぇ」で、場内まず大爆笑。
「野村さんも、あそこで素直に俺がやりたいって言っていたら、王さんの後押しもあるんだから決まってたんだよ」とさらに笑いに輪を掛けます。
それから話は4位に終わった北京オリンピック、そして今渦中のWBC監督問題へと進んだのですが、正直なところ、誰もが一番聞きたいと思っていて、しかしあまり触れてはもらえないだろうなという話題をここまで明け透けに、そしてたっぷり時間を取って話して頂けたのには驚きました。
話は世間のバッシングがいかに凄まじいか、まずそこに触れ、自分は我慢できるけれども子供や孫など家族にはつらい思いをさせているという心情を吐露されました。
そして加熱するマスコミ報道に言及し、事実と食い違っている部分にはひとつひとつ反証を加えていきました。
例えば、中日の監督の時にイチローをドラフト指名しなかった事が遺恨となって今回のイチロー発言に繋がっていると言われているがドラフトが行われたシーズンオフは私は退任が決まっており人事権は一切なかったこと、北京オリンピックでは野球チームが一流ホテルに泊まったと非難されているがあれはオリンピック委員会が手配した宿舎に従って泊まっただけであってしかも直前にテロ対策でホテルが変更されるなど我々の希望がおよそ及ぶものではなかったこと、等々興味が尽きない話が続きました。
また、北京オリンピックでは戦力は整っていても他国のチームに比べて明らかに準備期間が足りなかった点、さらに選手間のコミュニケーション不足が否めなかった点にも率直に触れていました。
「強いチームが勝つのではなく、勝ったチームが強いんです」という星野氏の発言に、すべての思いが集約されていたような気がします。
そして講演のクライマックスは阪神の監督時代、金本を広島からFAで移籍させた時の苦労話。
私は星野仙一氏の講演を聞くのは2回目で、その時もこの話題は出たのですが、やはり大きな苦労を乗り越えて心の奥からほとばしり発せられる言葉というのは何度聞いても迫力が違います。
広島球団や山本監督そして熱心な広島ファンへの思いを断ち切ることがができずに阪神移籍を思い悩む金本に、一年前星野氏自身が古巣中日の監督を辞任し苦悩の末阪神の監督を受諾した時の思いを重ね合わせながら金本を説得し、ついにFA期限切れ当日の深夜に金本から絶叫しながら「お世話になります!」と電話をもらった時の逸話が切々と語られました。
その中で、星野氏が阪神の監督受諾に思い悩むくだりで「自分を客観的に眺めてみたんです。そうしたら、受けるか受けないか悩んでいるという事は、自分は監督を受けたいんじゃないか!という事に気が付いたんですね」という言葉は印象的です。
そして阪神金本が誕生し、しかし金本は移籍金に関して巨人や中日よりはるかに低かった金額に一切不満を表さなかった事、金本ひとりの存在が阪神を変えると信じていた星野氏の思い通りチームが生まれ変わった事、そして「外様」に厳しい阪神ファンの中で金本を今「よそ者」呼ばわりする者は誰ひとりおらんでしょう!と「男」の生きざまを称える金本への賛辞で星野氏の言葉は結ばれました。
会場を常に笑いの渦に包みながらも、経験値で裏打ちされた情熱溢れる星野仙一氏の話に場内は引きずり込まれ、あっという間に一時間半という時間が過ぎておりました。
「野村監督、私は好きですよ。それにしてもあのオッサンは心底野球が好きで好きでしょうがないんですね」とおっしゃっていたその言葉をそのまま星野氏にも返したい、そんな思いに満ちた講演会でありました。