大晦日に、ひとり事務所で仕事をしながら、ちょっとひと息ついて打っています。
対談集が好きです。
好きな作家やアーティストが対談している本を見つけると、つい買ってしまいます。
原点は高校時代に何気なく買った中上健次と村上龍の対談集「ジャズと爆弾」でした。
当時「枯木灘」を発表したばかりの中上健次。
方や「限りなく透明に近いブルー」で芥川賞を受賞したばかりの村上龍。
このふたりから発せられる、知的好奇心に満ち満ちた文学論に魅せられて、授業を受けているふりをしては、何度も何度もぼろぼろになるまで読み返しました。
ふたりの対談から出てくる数多の作家、セリーヌ、ジャン・ジュネ、マルキ・ド・サド・・・これらの作家を私も追い掛けました。
村上龍が小説のクライマックスに書いた、明け方にほんの一瞬顔を見せる「限りなく透明に近いブルー」な空の美しさを見るために徹夜をしたりもしました。
こんな話題を出したのは、昨夜久々に一冊の対談集を書架から引っ張り出したから。
「柄谷公人 中上健次 全対話」。
文字通り、評論家の柄谷公人(からたに・こうじん)と中上健次の、1978年・1979年・1989年・1991年の4回、延べ30年に渡るふたりの対談が掲載されている対話集です。
酒のお供に久々にページをめくった本書ですが、止まらなくなってしまいました。
ふたりの文学論・作家論・ひいては人生論が、あまりに強烈な熱と、そして毒とを持って、すべてのページから発せられています。
そしてふたりが考える「文学とは何か」というテーマを、時代を風靡した作家や作品を次々と俎上に載せながら、一切飾らない言葉で語り尽くしています。
そうそう。
中上健次は柄谷公人から勧められてエリック・ホッファーやフォークナーを読み大きな影響を受けた事を知って、私も「積ん読」覚悟でこのふたりの著書を買ったなあ、なんて事も思い出しました。
新酒「搾りたて生原酒」を飲みながら読み始めた本書ですが、いつの間にか酒肴そっちのけで釘付けになり、盃を傾けつつ、ページをむさぼり読む自分がいた、年末の夜のひとときでした。