プロの将棋界で前代未聞の出来事が勃発しました。
トップ棋士10名が最高位「名人」の挑戦権を賭けて争う「A級順位戦」において、マスクを30分ほど外していた佐藤天彦九段が、対戦相手の永瀬拓矢王座の指摘を受けて、何と反則負けとなりました。
将棋連盟が定めた「マスク着用の規定違反」との理由です。
佐藤九段は翌日早速、日本将棋連盟に対して、反則負けの取り消しと再対局を要望した「不服申し立て」を起こしました。
私も対局のライブをYouTubeで観ましたが、異様な光景でした。
深夜0時頃、突然、常務理事の鈴木大介九段が対局場に入ってきて対局を止めさせ、両対局者と3人で別室に移り、しばらくして先に戻ってきた佐藤九段がそそくさと自分の持ち物を片付けて対局室を去りました。
しばらくして永瀬王座も戻り、すぐに対局室をあとにしました。
対局終了後、勝者が丁寧に片付けるはずの駒は、無造作に差し掛けられた局面のままでした。
今回、これだけの騒動になった伏線はいくつもあります。
・「マスク不着用を反則負けとする」という決まりは、コロナ禍において故意にマスクをしない棋士が複数現れたために出来た、時限的な規定であるが、佐藤九段の主張は「対極に没頭するあまり、無意識に外してしまった結果であり、決して故意ではなかった」というものであること。
・にもかかわらず、佐藤九段が一度の注意・警告を受けることもなく、いきなり一発レッドとなってしまったのは極めて不本意であること(囲碁界では、まずは「注意する」というイエローカードが存在します)。
・対戦相手の永瀬王座は、佐藤九段に直接注意するのではなく、席を何度も外してはバックヤードで「反則負け」を訴えていたこと(YouTubeの動画でもそれは窺がえます)。
・当日、対局が行われていた東京将棋会館には、いわゆるレフェリー役である「立会人」の棋士が不在であり、連盟トップの2人が連絡を受けて急遽結論を下した、いわゆる場当たり的な感が否めない判定であったこと。
・この対局「A級順位戦」が、棋士の地位や年俸を大きく左右する、極めて重要な1局であったこと。
・対局におけるマスクの着脱の如何(いかん)が、我々が考える以上に、棋士の思考力に大きな影響を与えること。
等々です。
弁護士らの専門家は、決定はまず覆らないだろうとの意見が大勢です。
また、裏に回って告げ口のような行為をした永瀬王座への批判も少なからずあります。
言うならこそこそせずに、佐藤九段本人に直接言えという訳です。
個人的な考えを言えば、まず私は永瀬王座に非はないと思います。
仮にどんなに仲がよくても、対局中に相手に直接注意をするという行為は、基本的にあり得ません。
そして永瀬王座は、終盤の最も大切な局面で、相手がマスクを外すという優位性を保っていることに、かなり苦しんだのではないでしょうか。
それが結果的に、会館内の第三者に直訴するという手段に出てしまったことを、私は非難できません。
では連盟の対応はどうだったのか。
ここが一番の問題です。
常務理事の鈴木九段は、別室での佐藤九段の「まずは注意喚起があるべきでは?」という訴えを「その必要はない」と却下したそうです。
確かに規則ですからその通りです。
それでも私は、まずは注意喚起はあるべきだったという立場です。
初めての、あまりにイレギュラーな出来事だったからこそ、そこは慎重に、両対局者が納得の行く形を取って(佐藤九段に謝罪をさせて)、対局を再開すべきだったと思っています。
鈴木九段の立場もよく理解できます。
突如湧き上がった案件を即断即決しなければならなかった、その焦りはいかほどであったか、想像に難くありません。
ちなみに日本将棋連盟は、今後の対策として、すべての対局日に「立会人」を付けることを決定しました。
そんな中で佐藤九段は、直後の対局で羽生九段を破るなど、表向きは今回の影響を感じさせない活躍を続けているのが救いです。
間もなく、佐藤九段の「不服申し立て」に対する連盟の回答が出ますが、遺恨の出ない結論となることを願っています。