8月12日、今日は私が敬愛する作家中上健次(なかがみけんじ)の命日です。
中上健次は紀伊半島のほぼ突端に位置する新宮市で生まれました。
被差別部落の出身で、加えてその家系は大変複雑であり、その事が生涯を通じて彼の作品に色濃く反映されました。
新宮高校時代は不良少年である傍ら圧倒的な読書量を誇り、上京後は新宿のジャズ喫茶に入り浸りながら小説を同人誌に投稿する日々でした。
その後も羽田空港で肉体労働に従事しながら、原稿用紙と万年筆を常に携帯して喫茶店の片隅で小説を書き続け、それについて中上自身が「俺の小説は喫茶店文学だ」と語っています。
「俺は汗で稼いだ金しか認めない」と言って、小説で稼いだ印税を捨てるように新宿のゴールデン街で使い果たしていたのもこの頃です。
新聞配達をしながら爆弾のいたずら電話を無差別に掛けまくる少年の姿を描いた「十九歳の地図」が芥川賞候補となるとともに栁町光男監督によって映画化され、作品は小説同様大きな評価を得ました。
そして、中上の被差別部落出身という出自や彼自身の複雑な家系を、紀州新宮という土地の特殊性と絡めて描いた私小説的作品「岬」で、ついに芥川賞を受賞。
その濃密で圧倒的な文体は、続編として描かれた「枯木灘」「地の果て至上の時」と共に3部作として絶大な支持を得ました。
その後も中上は、紀州と血族の問題に一貫してこだわり、「地と血への回帰」をテーマに精力的に作品を発表し続けました。
しかしそんなさ中、中上が腎臓ガンを患っていることが発覚、地元紀州に戻り闘病生活を続けましたが46歳の若さでこの世を去りました。
私が中上健次に初めて出会ったのは高校時代、「ジャズと爆弾」という村上龍との対談集でした。
その無頼性にいっぺんで中上に魅了されてしまい、その後は中上の小説を読み漁りました。
今でもぼろぼろになった「岬」や「枯木灘」が私の鞄の片隅に入っていて、折に触れページを開いています。
数年前には、中上が生まれそして数々の小説の舞台となった新宮という街をぜひ見てみたいと、妻と一緒に新宮市を訪ねました。
その時は事前に問い合わせをした新宮市役所観光課の方がわざわざ出迎えて下さり、中上健次にまつわる場所の数々…彼が小説で「路地」と呼んだ一角、「火まつり」の舞台にもなっている神倉神社、新宮市立図書館内にある中上健次資料収集室、そして中上の墓に至るまで、同行してご案内頂きました。
海と山とに囲まれたその小さな大地は、確かに中上が小説で描き続けた息吹が感じられました。
また翌年には、2月6日の「御燈祭り(=火まつり)」の日に新宮市を再訪。
午後8時、山の中腹にある神倉神社から境内の門が開かれると同時に、松明(たいまつ)を持った白装束の男たちが一斉に急な石段を駆け下り、山の夜闇の中に松明の火が一斉に灯る光景は、男祭りの荒々しさとあいまって鳥肌が立つ思いでした。
この光景は中上健次脚本で同じく栁町光男が監督した映画「火まつり」でも描かれ、観る事ができます。