地酒業界には無くてはならない存在がこの世を去りました。
齋藤哲雄。
地酒専門店「小さな酒蔵応援団 革命君」代表。
40代前半の若さでした。
彼は多くの酒蔵を育て、そして数多(あまた)の地酒関係者に愛され続けてきました。
私もそのひとりです。
齋藤さんと私との出会いは平成22年5月。
初めて参加した「長野の酒メッセ in 東京」でした。
齋藤さんは当時、都内の某有名地酒専門店の番頭でした。
その日当社のブースを何度も訪れては利き酒を繰り返し、終了間際に初めて身分を明かし、取り引きの意思を示してくれたのでした。
それは「和田龍登水」が東京へ進出する大きなきっかけにもなった一瞬でした。
その後、時には上田に来てまで酒質向上のアドバイスを交わしながら、齋藤さんと私との絆は深まっていきました。
しかしある時、齋藤さんを大病が襲います。
戦線離脱で長期療養を余儀なくされた齋藤さんに、多くの地酒業界関係者が復帰のエールを送り続けました。
齋藤さんのために「俺は待ってるぜ!」という黄色いハンカチーフが作られ、私は今も店頭に飾ってあります。
そして齋藤さんは奇跡の復活を遂げました。
退院直後、船橋駅前のガストで久々に顔を合わせた時の感激は忘れません。
退院したとはいえまだまだ満身創痍の齋藤さんは、しかし愛する地酒を世に放つために自身で酒類販売免許を取得し、千葉県船橋市に酒販店「小さな酒蔵応援団 革命君」をオープンします。
たった数坪の小さな店内。
販売対象は飲食店のみ。
配達はせず配送はすべて宅配便。
体調に合わせて営業時間は午後のみ。
このように環境的には万全とはいえない「革命君」と齋藤さんを、多くの蔵元や飲食店がバックアップしていきます。
私も折に触れ、数え切れないほど齋藤さんと電話で話をしました。
そのつど多くのアドバイスをもらい、𠮟咤激励され、それはそれは大きな励みになりました。
齋藤さんが発掘して育てたお酒はその蔵元のプライドとなり、そして飲食店も齋藤さんへの信用でその銘柄を取り扱いました。
数年後、齋藤さんは自身の夢だった大きな店舗への移転を、JR小岩駅から徒歩5分という至便な立地に果たしました。
移転直後のとある日の夕方、アポなしで訪ねた私に驚きながらも、大いに歓迎してくれた齋藤さんの満面の笑顔を今も忘れません。
齋藤さんはFacebookで、「齋藤哲雄」名義では近況を、「革命君」名義では取り扱い商品情報を、連日のように発信し続けました。
それは、時には体調に不安を覚えながらも、愛する地酒を普及させるために体を張って邁進していく、さながら戦士そのものの姿を彷彿させました。
しかしそのFacebookの投稿も、緊急入院を告げた直後の今年2月7日を最後にバッタリと途絶えてしまいました。
そして2か月が経った先日。
お母様から齋藤さんの訃報を知らせる葉書が届きました。
何と入院直後の2月に亡くなったとのこと。
その時のショックと衝撃はいかばかりだったか、計り知れません。
齋藤さんの訃報はすぐにSNSで拡散されました。
齋藤哲雄という男はここまで愛されていたのかと、改めて痛感させられた思いでした。
そして今も、齋藤さんと時を共にした、私を含む多くの者が深い悲しみに包まれています。
齋藤さんが自身の体調悪化と入院を知らせる2月1日の投稿の、最後の一文を抜粋します。
「必ず直します。必ず酒屋復帰します。最後まで諦めず治療に挑みます。」
齋藤さんの思いは今も我々の心の中に生き続けています。
齋藤さん、ありがとうございました。
あなたと出会えてよかったです。
このホームページの「革命君」の名前は消さずに残します。