所要で近所のショッピングモールを訪れた際、ついでに同じモール内にある書店を覗いてみました。
そして日本文学のコーナーで思わず目を引いたのが、村上龍「限りなく透明に近いブルー」のハードカバー版でした。
村上龍のデビュー作であり、若干24歳で芥川賞を受賞した本作、今は講談社文庫でしかお目に掛かれないと思っていましたが、こんな小さな書店の片隅にハードカバー版がひっそりと置かれている事に驚きました。
あるいは新装版として再発売されたのでしょうか。
私が本書を読んだのは高校生の時でした。
「限りなく透明に近いブルー」という魅惑的なタイトルとともに、その衝撃的な内容と文体の虜となり、「海の向こうで戦争が始まる」そして「コインロッカーベイビーズ」を立て続けに読破。
続いて村上龍の名前に惹かれて買ったのが、私の文学感を一変させたといっても良い一冊、中上健次との対談集「ジャズと爆弾」(旧題「俺たちの舟は、動かぬ霧の中を、纜(ともずな)を解いて、-。」)でした。
その知的好奇心溢れる内容に挽かれ、高校時代、それこそボロボロになるまで本書を読み耽りました。
そしてそれが、私が最も敬愛する作家のひとり、中上健次との出会いでもありました。
セリーヌ、ジャン・ジュネ、コクトー、マルキ・ド・サド、サルトル・・・本書の対談の中で登場する、ふたりが傾倒した作家は私もすべて読み込まねば、そう思って、書店で彼らの名前を見つけた時は片っ端から買い漁りました。
私が通った大学の図書館で「セリーヌ全集」全巻を発見した時は身震いするような感動に包まれたものでした。
本書の中で、村上龍がクライマックスの「限りなく透明に近いブルーだ。」、この一文を書くためだけに、どれだけの試行錯誤と執筆中での我慢を積み重ねたかを熱く語り、そして中上健次も「俺も『限りなく透明に近いブルー』な夜明けの空を見たことあるよ」と同意し、しかしそれは安寧な生き方をしていては見ることのできない光景なのだと同調するシーンでは、文学者、表現者としてのカッコよさにシビれまくったのを今でも覚えています。
その後ふたりは文学者としてははっきりと違った方向性を歩んでいきましたが、その原点としての対談集「ジャズと爆弾」は、今でも私にとって掛け値なしに珠玉の一冊です。
ハードカバー「限りなく透明に近いブルー」の背表紙を眺めながら、そんな事に思いを馳せた書店での夜でした。