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一生懸命の意味

2012.11.12

東京のJR品川駅高輪口のすぐ脇に1軒のパチンコ店があります。
このお店の前を通るたびに必ず目にするのが、客寄せのために自動ドアの前で、ハッピ姿で元気よく踊っているアルバイトの学生さんです。

時には男性1人だけで、時には女性1人だけで、またある時は男性と女性2人で、音は流れていませんがたぶんi-podか何かを聴いているのでしょう、リズムに乗りながら一心不乱に道行く人の目の前で踊り続けています。
逆に音がないからこそ、ハッピ姿で延々と踊り続けるその姿は通行人の目を引くにはあまりに十分です。
かくいう私の目も、お店の前を通る時は彼らに釘付けです。

そして見るたびに感じるのですが、踊っている学生さんによって、彼らの恥ずかしさの度合いがはっきり分かるのです。

いくらバイトとはいえ「やらされている感」がある人というのは、踊りもどことなくぎこちなく、そして動きも緩慢です。
逆にこれは仕事と割り切って羞恥心をかなぐり捨てて踊っている人は体のキレもよく、そして何より表情が明るいです。
特に女性が踊っている場合はそれを顕著に感じます。

で、何が言いたいのかというと、どうせ恥をかくのならキッパリとかき捨てて踊っている学生さんの方が輝いて見えるという事です。

ちょっと下をうつむいて恥ずかしそうに踊っている学生さんには、そうやって恥ずかしがっている方がカッコ悪いよ、どうせなら思い切りハジけちゃいなよ、その方がうんとカッコよく見えるから、思わずそう言ってあげたくなります。

彼らにとってみれば、バイトでパチンコ店に行ったら店の前でひたすら踊ることをたまたま命じられて、こんなはずじゃなかったともしかしたら思っているかもしれません。
でもそこで一生懸命にできるか否かで、その人のその後の生きざままで、たとえちょっとずつでも変わってくるのではないか、そんな気がいつもしています。

そしてその光景を見ながら、実は私自身も学ばせてもらっているのです。
最後に必ず「頑張れよ」と心の中で呟いて、そのお店の前を通り過ぎる毎回です。